1872年(明治5)11月制定、翌年1月発布の徴兵令に対する反対一揆。徴兵令反対一揆ともいう。「徴兵告諭」のなかで徴兵の義務を「西人(せいじん)之(これ)ヲ称シテ血税ト云(い)フ其(その)生血ヲ以(もっ)テ国ニ報スルノ謂(いい)ナリ」としたことから、この名がおこった。20歳に達した男子に課せられる3か年の兵役義務には、官吏、海陸軍生徒、所定の官立学校の生徒、洋行修業者、戸主・嗣子(しし)、代人料270円上納者ほかの免役条項があったが、それらの適用を受けられない一般農民の、とくに二、三男にとっては、徴兵は逃れられない労働力徴発としての意味をもつ過重な負担であった。血税一揆は、この負担に反対する一揆で、ここに血税一揆の本質がある。徴兵によって「生血」を吸い取られると誤解したためであるとする説は、この本質をみない俗説である。
血税一揆は、現在判明する限りで19件を数えるが、2件を除きすべて1873年に集中的に発生した。そこには次のような共通の特徴がみられる。第一に、東北地方での1件を別とすれば、いずれも西日本(とくに中国、四国)に集中していることである。これは、この地域における徴兵免役者の比率の相対的低さと関連があるものと思われる。第二に、徴兵令反対が、多くの場合、学制、太陽暦の採用、穢多非人(えたひにん)の称の廃止をはじめ廃藩置県後の種々の新政策への反対と結合していることである。この点で、血税一揆は、この時期の新政反対一揆の中心に位置する。第三に、一揆は多様な形態をとってはいるが、しばしば区戸長宅、学校などの徹底的な打毀(うちこわし)、焼打ちを伴った激しい暴動の形態をとったことである。なかでも、73年5月26日から6月1日にかけて400戸以上の打毀、焼打ちを展開した北条(ほうじょう)県(美作(みまさか)国、現岡山県)の全県下に及んだ一揆(処刑者は死刑15人を含む約2万6000人)、ついでその影響のもとに6月19日から23日にかけて激烈な打毀を展開した鳥取県(伯耆(ほうき)国)会見(あいみ)郡の一揆(処刑者は終身刑1人を含む約1万2000人)、さらに同月27日から7月6日にかけて約600戸の打毀を展開した名東(みょうどう)県(讃岐(さぬき)国、現香川県)豊田(とよた)、三野(みの)、多度(たど)、那珂(なか)、阿野(あの)、鵜足(うたり)、香川7郡の一揆(処刑者は死刑7人を含む約2万人)が、その代表的なものである。以上の特質をもつ血税一揆は、73年以降の地租改正の進行とともに、やがて地租改正反対一揆の展開へと受け継がれていくことになる。
[近藤哲生]
『土屋喬雄・小野道雄編『明治初年農民騒擾録』(1953・勁草書房)』▽『青木虹二編『百姓一揆総合年表』(1971・三一書房)』▽『佐々木潤之介編『日本民衆の歴史5 世直し』(1974・三省堂)』
明治初年の徴兵反対一揆。1873年1月徴兵令が制定されるや,農民はこれに反対して各地で一揆を起こした。その〈徴兵告諭〉では徴兵を血税と称したことから,徴兵(令)反対一揆を血税一揆とも呼んでいる。血税一揆は,73-74年にかけて三重,福岡,大分,岡山,鳥取,香川,熊本,長崎,愛媛,広島,秋田の各県,京都府および高知県2件の合計14件にも上っている。1873年5月の岡山県美作(みまさか)地方の一揆は,なかでも大規模なものであり,26日から6昼夜にわたって蜂起し,大阪鎮台兵2小隊の出動によって鎮圧された。この一揆は徴兵令反対,地券入費反対,学校入費反対,〈穢多・非人の称廃止〉反対などの要求をかかげ,官員宅,戸長・副戸長・盗賊目付宅,地券懸宅,小学校それに被差別部落民宅など432軒を焼き打ち,打ちこわし,29名の被差別部落民を殺傷した。なぜ被差別部落民を襲撃したかについては検討を要するが,徴兵制や地券入費など新政府の農民抑圧政策にたいする抵抗運動とみるべきである。この一揆によって処刑された者は死刑15名,懲役64名をふくめて2万6916名に及んだ。また香川県下の7郡にわたる一揆も,73年6月27日~7月6日にわたってたたかわれ,徴兵令反対,学制反対および〈肉食行われしより牛価騰貴貧民困却〉を唱え,戸長事務所,戸長宅,学校,邏卒出張所や民家など599ヵ所を焼き打ち,破壊したが,軍隊によって鎮圧された。牛価騰貴とは農業に必要な牛の価格の高騰によって農業生産が困難になるという意味である。この一揆によって処刑された者は死刑7名,懲役50名をふくめて1万6839名に上った。鳥取県下の一揆も大規模なものであり,6月19日から26日までつづいた。徴兵令反対をはじめ新政反対を唱え,鎮台兵の出動によって鎮圧された。懲役255名をふくめて1万1907名が処刑された。血税一揆は被差別部落解放反対という反動的要求もかかげてはいたが,総じて農民の生産と生活を守るたたかいであった。
執筆者:後藤 靖
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
徴兵令反対一揆とも。1873年(明治6)1月の徴兵令布告以降,徴兵反対を掲げて発生した一揆。主として西日本各地に発生した。73年3月の三重県牟婁(むろ)郡神内(こうのうち)村一揆から74年12月の高知県幡多(はた)郡蜂起に至る19件が確認されている。73年の北条県(現,岡山県),鳥取県会見(あいみ)郡,名東(みょうどう)県(現,香川県)などの一揆は,数万人が参加する大規模なものであった。攻撃対象になった県官は,原因を徴兵告諭中の「血税」文言を誤解した民衆が「血取」の流言・風評におびえたことに求めたが,実際はあいつぐ文明開化諸政策に対する民衆の拒否行動であった。県庁攻撃や区・戸長層への徹底的な破壊などを特徴とし,徴兵反対を掲げていない他の一揆と同様,新政反対一揆であった。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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