日本歴史地名大系 「勝命村」の解説 勝命村かつみようむら 徳島県:阿波郡阿波町勝命村[現在地名]阿波町 勝命・谷島(たにじま)・王地(おうじ)・西清原(にしせいばら)・下喜来(しもぎらい)・平川原北(へいがわらきた)など現町域の南東部にあり、南は伊沢(いさわ)村、西は久千田(くちた)村と接する。村内を撫養(むや)街道が通る。「阿波国風土記」逸文に記す「勝間井」を当地とする説があり、倭建天皇命(日本武尊か)が大御櫛笥(粟国では櫛笥を勝間という)を忘れたところで、粟国の人々がそこに井戸を掘ったという地名伝説を伝えている。あるいは空海による湧水が民の渇を救ったという所伝もある。応永一七年(一四一〇)八月一八日の京都北野社蔵一切経奥書に「阿州久千田庄勝間井於善福寺」とあり、勝間(かつま)井が朽田(くちた)庄内であり、善福寺があったことが知られる。地内の下喜来は北の上喜来(現市場町)と一村であったと伝え(阿波郡誌)、同所の春日神社に元応二年(一三二〇)銘の(大日如来種子)卒塔婆がある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by