…しかし動乱も後期になると,彼らの活動もおさえられ,細川氏はその居城を吉野川下流の沖積平野のただなかにある板野郡勝瑞(しようずい)に移し,阿波全域にその支配を及ぼした。それ以後,室町時代を通じて勝瑞城を根拠地とした阿波の細川氏(下屋形)は京都の細川氏(管領,上屋形)とならんで,中央政界で大きな力を行使していく。戦国時代に入って,10代将軍足利義租の子義冬は那賀郡平島の地に入り,その子孫は平島公方と称しているが,これも細川氏の庇護のもとで起こったことである。…
※「勝瑞城」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...