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勝瑞城 しょうずいじょう

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日本の城がわかる事典の解説

しょうずいじょう【勝瑞城】

徳島県板野郡藍住町勝瑞にあった中世の平城(ひらじろ)。国指定史跡。南北朝時代から戦国時代にかけて250年にわたり、細川氏、三好氏によって、阿波の政治・経済・文化の中心となった。1363年(貞治2・正平18)阿波の守護職3代目の細川詮春(ほそかわあきはる)が、守護所を秋月城から当地に移し、勝瑞城を築いたとされる。以後、阿波細川氏の居城となったが、細川氏は応仁の乱で衰退、1553年(天文22)細川持隆(ほそかわもちたか)は、家臣の三好義賢(みよしよしかた)に謀殺され、これを機に三好氏に実権が移った。三好氏は、勝瑞城を拠点に畿内・京都に侵出していった。1582年(天正10)土佐の長宗我部元親(ちょうそかべもとちか)の侵攻を受け、城主の十河存保(そごうまさやす)は中富川で戦って敗れ、讃岐に逃れた。勝瑞城も落ち、廃城となった。その後、徳島城築城のために石材や建造物の一部が持ち出されたので、遺構の大半は失われ、現在、土塁と堀の一部が残るだけである。また、本丸跡には三好氏の菩提寺である見性寺(けんしょうじ)がある。JR高徳線勝瑞駅から徒歩10分。

出典|講談社
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世界大百科事典内の勝瑞城の言及

【阿波国】より

…しかし動乱も後期になると,彼らの活動もおさえられ,細川氏はその居城を吉野川下流の沖積平野のただなかにある板野郡勝瑞(しようずい)に移し,阿波全域にその支配を及ぼした。それ以後,室町時代を通じて勝瑞城を根拠地とした阿波の細川氏(下屋形)は京都の細川氏(管領,上屋形)とならんで,中央政界で大きな力を行使していく。戦国時代に入って,10代将軍足利義租の子義冬は那賀郡平島の地に入り,その子孫は平島公方と称しているが,これも細川氏の庇護のもとで起こったことである。…

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