朝日日本歴史人物事典 「勝覚」の解説
勝覚
生年:康平1(1058)
平安後期の真言宗の僧。左大臣源俊房の子。母は藤原朝元の娘。師の定賢の譲りを受けて,応徳3(1086)年醍醐寺座主となる。清滝宮を上下醍醐寺に勧請して鎮守とし,三宝院を建立するなど,中世醍醐寺の発展の基礎を築いた。著名な桜会(清滝会)を始めたのも勝覚。白河上皇の出家の際に剃り手を勤め,大治2(1127)年高野山に御願の塔を建てるなど,白河上皇に奉仕した。東寺長者,東大寺別当を歴任する。また永久5(1117)年神泉苑での祈雨の請雨経法でも名高く,「祈雨日記」が残る。<参考文献>『永久五年祈雨日記』(『続群書類従』),稲垣栄三編『醍醐寺の密教と社会』
(土谷恵)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報