コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

勝覚 しょうかく

2件 の用語解説(勝覚の意味・用語解説を検索)

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

勝覚 しょうかく

1057/58-1129 平安時代中期-後期の僧。
天喜(てんぎ)5/康平元年生まれ。源俊房の子。真言宗醍醐寺(だいごじ)座主(ざす)の定賢(じょうけん)に師事,義範に灌頂(かんじょう)をうける。醍醐寺座主,東大寺別当,東寺長者を歴任した。永久3年醍醐寺山内に三宝院を創建。大治(だいじ)4年4月1日死去。72/73歳。著作に「阿字観次第」「伝法灌頂私記」など。

出典|講談社
デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて | 情報 凡例

朝日日本歴史人物事典の解説

勝覚

没年:大治4.4.1(1129.4.21)
生年:康平1(1058)
平安後期の真言宗の僧。左大臣源俊房の子。母は藤原朝元の娘。師の定賢の譲りを受けて,応徳3(1086)年醍醐寺座主となる。清滝宮を上下醍醐寺に勧請して鎮守とし,三宝院を建立するなど,中世醍醐寺の発展の基礎を築いた。著名な桜会(清滝会)を始めたのも勝覚。白河上皇の出家の際に剃り手を勤め,大治2(1127)年高野山に御願の塔を建てるなど,白河上皇に奉仕した。東寺長者,東大寺別当を歴任する。また永久5(1117)年神泉苑での祈雨の請雨経法でも名高く,「祈雨日記」が残る。<参考文献>『永久五年祈雨日記』(『続群書類従』),稲垣栄三編『醍醐寺の密教と社会』

(土谷恵)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
朝日日本歴史人物事典について | 情報

世界大百科事典内の勝覚の言及

【三宝院】より

…修験道当山派の本山でもあり,室町時代以降醍醐寺全山の中心として重んぜられた。1115年(永久3)左大臣源俊房の子で醍醐寺第14代座主となった勝覚が開いた。はじめは灌頂院といったが,定賢,義範,範俊3師の法流を一身に集めた勝覚が,醍醐寺の法門の興隆を念じ,三法にちなんで三宝院と改めた。…

※「勝覚」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
世界大百科事典 第2版について | 情報

勝覚の関連キーワード中山間地域等直接支払い制度認定農業者矢祭町議会の日当制労災死亡事故安倍頼時行尊定朝志和稲荷神社インド浮田荘

今日のキーワード

百条委員会

地方自治体が議決により設置する特別委員会の一つ。名称は「地方自治法第100条」に基づく。百条委員会は、地方公共団体の事務に関する調査を行い、関係者への聞き取りや記録の提出を請求、拒否した者には罰則が科...

続きを読む

コトバンク for iPhone