志和稲荷神社(読み)シワイナリジンジャ

デジタル大辞泉 「志和稲荷神社」の意味・読み・例文・類語

しわいなり‐じんじゃ【志和稲荷神社】

岩手県紫波郡紫波町にある神社祭神宇迦之御魂神うかのみたまのかみ。天喜5年(1057)源義家創建と伝える。

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精選版 日本国語大辞典 「志和稲荷神社」の意味・読み・例文・類語

しわいなり‐じんじゃ【志和稲荷神社】

  1. 岩手県紫波郡紫波町にある神社。旧県社。祭神は宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)ほか二柱。天喜五年(一〇五七源頼義・義家の創建と伝えられる。斯波氏南部氏崇敬を受けた。

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日本歴史地名大系 「志和稲荷神社」の解説

志和稲荷神社
しわいなりじんじや

[現在地名]紫波町升沢 前平

升沢ますざわの西部山麓、滝名たきな川上流左岸に位置。祭神は宇迦之御魂命(稲倉魂命)で旧県社。江戸時代には盛岡城下と当社を結ぶ志和稲荷街道があった。伝承によると天喜五年(一〇五七)源頼義がじんおかに布陣した時、戦勝祈願のため京都伏見稲荷神社の分霊を勧請したものとされ、文治五年(一一八九)の奥州合戦のとき源頼朝が再興したという。また建武二年(一三三五)紫波郡へ下向した斯波家長が伏見稲荷神社を勧請、建立したとも伝える(志和軍戦記・邦内郷村志)。天正一六年(一五八八)五月二八日付の棟札に「奉建立稲荷大明神御宝殿悉地成就之所」とあり、大旦那として源朝臣志和孫三郎詮直の名がみえ、高水寺こうすいじ城主斯波詮直が当社を造営している(紫波町史)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「志和稲荷神社」の意味・わかりやすい解説

志和稲荷神社
しわいなりじんじゃ

岩手県紫波(しわ)郡紫波町升沢(ますざわ)に鎮座。宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)を主祭神とし、猿田彦命(さるたひこのみこと)と大宮能売命(おおみやのめのみこと)を配祀(はいし)する。1057年(天喜5)安倍(あべ)氏征討にあたった源義家(よしいえ)の勧請(かんじょう)と伝える。中世、志和城に拠(よ)った斯波(しば)氏の厚い崇敬を受ける。近世、南部領となるに及びその祈願所として栄え、盛岡からの大稲荷(おおいなり)街道が開かれた。旧県社。例祭は5月5日(1982年以前は旧暦9月19日)。また、旧暦2月午(うま)の日の三午祭(さんうままつり)がある。12年一度の午年の初午には白馬参進(はくばさんしん)の神事が執り行われる。

[高橋美由紀]

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デジタル大辞泉プラス 「志和稲荷神社」の解説

志和稲荷神社

岩手県紫波郡紫波町にある神社。1057年、源義家の勧請による創建と伝わる。祭神は、宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)、猿田彦神(さるだひこのかみ)など。「志和のおいなりさん」とも呼ばれる。

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