行尊(読み)ギョウソン

デジタル大辞泉 「行尊」の意味・読み・例文・類語

ぎょうそん〔ギヤウソン〕【行尊】

[1057~1135]平安後期の天台宗の僧。源基平みなもとのもとひらの子。諸国行脚あんぎゃ祈祷きとうに優れ、天台座主ざすとなった。和歌にもすぐれ、金葉集新古今集などに入集。平等院大僧正

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精選版 日本国語大辞典 「行尊」の意味・読み・例文・類語

ぎょうそんギャウソン【行尊】

  1. 平安後期の天台宗の僧。源基平の子。京都に生まれる。園城寺で出家し、諸国を行脚(あんぎゃ)天台座主、大僧正となる。和歌、絵をよくした。歌は「金葉集」「新古今集」などに所収家集「行尊大僧正集」がある。天喜三~長承四年(一〇五五‐一一三五

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改訂新版 世界大百科事典 「行尊」の意味・わかりやすい解説

行尊 (ぎょうそん)
生没年:1057-1135(天喜5-保延1)

平安末期の僧。源基平の子で後三条天皇の孫にあたる。園城寺(おんじようじ)(三井寺)の明尊の弟子となり,17歳のときから大峰,真木尾,熊野など霊山をめぐって苦行し験力を讃えられ,鳥羽天皇皇后待賢門院璋子の病を加持して名声を得た。1116年(永久4)園城寺長吏,18年(元永1)四天王寺別当,23年(保安4)天台座主(ざす)に任じられたが延暦寺僧徒の反対で辞退。25年(天治2)大僧正となり,宇治平等院を本寺としたので平等院僧正と呼ばれた。延暦寺僧徒に焼かれた園城寺金堂を再建し,また覚鑁(かくばん)の高野山大伝法院建立を助けた。行尊は和歌をよくし,大峰苦行の際の歌〈もろともにあはれと思へ山桜花より他に知る人もなし〉は,《金葉和歌集》に収められ人口に膾炙かいしや)する。後世,修験道の本山派では,行尊を修験の先達として讃え,また西国三十三所巡礼の創始者とする説もある。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「行尊」の意味・わかりやすい解説

行尊
ぎょうそん
(1055―1135)

平安末期の天台宗の僧。通称を平等院(びょうどういん)大僧正という。参議源基平(みなもとのもとひら)(1026―1064)の子。12歳のとき園城寺(おんじょうじ)で出家し、17歳から諸国を遊歴、大峰(おおみね)山、葛城(かつらぎ)山などの修験(しゅげん)霊場修行した。祈祷(きとう)に優れ天皇の病を祈り験(しるし)があったという。のち三井平等院に入り、1116年(永久4)園城寺長吏となって百座仁王講(にんのうこう)を始め、毎年修するのを例とした。1123年(保安4)44世天台座主(ざす)に任ぜられたが、6日で辞した。和歌に秀で、『金葉』『詞花』『千載(せんざい)』『新古今』などの勅撰(ちょくせん)集に多くの歌が収められている。また画もよくし、衣冠を着けて歌を詠んでいる柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)像を夢にみて写したという画があり、人麻呂像の最初のものとされる。

[塩入良道 2017年6月20日]


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朝日日本歴史人物事典 「行尊」の解説

行尊

没年:保延1.2.5(1135.3.21)
生年:天喜3(1055)
平安時代の僧侶,歌人。三条天皇の曾孫。参議源基平の子。12歳で出家して 園城寺に入り,大峰山での修験の修行などを重ね,25歳で頼豪から阿闍梨灌頂を受けた。以後,加持祈祷の効験をうたわれ,鳥羽天皇の護持僧となるなど活躍。園城寺長吏,大僧正に任ぜられた。書や琵琶のほか和歌にもすぐれ,大峰修行中の作などは西行の先蹤として後代から高く評価された。「もろともにあはれと思へ山桜花よりほかに知る人もなし」の一首は特に名高い。上流貴族出身の高僧として多くの霊験譚の主人公ともなっている。<参考文献>近藤潤一『行尊大僧正』

(山本登朗)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「行尊」の解説

行尊 ぎょうそん

1055-1135 平安時代後期の僧,歌人。
天喜(てんぎ)3年生まれ。源基平(もとひら)の子。天台宗。近江(おうみ)(滋賀県)園城(おんじょう)寺で出家し,各地で修行。祈祷にすぐれ鳥羽天皇の護持僧となる。園城寺長吏,四天王寺別当,天台座主(ざす)をつとめた。大僧正。和歌が「金葉和歌集」以下の勅撰集に多数おさめられている。長承4年2月5日死去。81歳。通称は平等院大僧正。著作に「行尊大僧正集」など。
【格言など】もろともにあはれと思へ山桜花よりほかに知る人もなし(「小倉百人一首」)

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世界大百科事典(旧版)内の行尊の言及

【西国三十三所】より

…伝承によると,大和長谷寺の徳道上人,あるいは花山法皇が,仏道を求めて観音の霊場を一巡したことに始まるといわれる。三井園城寺の僧で,修験者として有名な行尊(1055‐1135)が始めたとも伝えられるが,札所の寺を詳細に検討すると,創立年代が事実とあわない点から,これらの説を用いることはできない。むしろ,1161年(応保1)正月に三十三所を巡礼した後で記した,覚忠の《巡礼記》の記事は信頼するに足るもので,彼によって創始されたものと考えてよかろう。…

※「行尊」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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