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行尊 ギョウソン

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デジタル大辞泉の解説

ぎょうそん〔ギヤウソン〕【行尊】

[1057~1135]平安後期の天台宗の僧。源基平(みなもとのもとひら)の子。諸国を行脚(あんぎゃ)。祈祷(きとう)に優れ、天台座主(ざす)となった。和歌にもすぐれ、金葉集新古今集などに入集。平等院大僧正。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

行尊 ぎょうそん

1055-1135 平安時代後期の僧,歌人。
天喜(てんぎ)3年生まれ。源基平(もとひら)の子。天台宗。近江(おうみ)(滋賀県)園城(おんじょう)寺で出家し,各地で修行。祈祷にすぐれ鳥羽天皇の護持僧となる。園城寺長吏,四天王寺別当,天台座主(ざす)をつとめた。大僧正。和歌が「金葉和歌集」以下の勅撰集に多数おさめられている。長承4年2月5日死去。81歳。通称は平等院大僧正。著作に「行尊大僧正集」など。
【格言など】もろともにあはれと思へ山桜花よりほかに知る人もなし(「小倉百人一首」)

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朝日日本歴史人物事典の解説

行尊

没年:保延1.2.5(1135.3.21)
生年:天喜3(1055)
平安時代の僧侶,歌人。三条天皇の曾孫。参議源基平の子。12歳で出家して 園城寺に入り,大峰山での修験の修行などを重ね,25歳で頼豪から阿闍梨灌頂を受けた。以後,加持祈祷の効験をうたわれ,鳥羽天皇の護持僧となるなど活躍。園城寺長吏,大僧正に任ぜられた。書や琵琶のほか和歌にもすぐれ,大峰修行中の作などは西行の先蹤として後代から高く評価された。「もろともにあはれと思へ山桜花よりほかに知る人もなし」の一首は特に名高い。上流貴族出身の高僧として多くの霊験譚の主人公ともなっている。<参考文献>近藤潤一『行尊大僧正』

(山本登朗)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

ぎょうそん【行尊】

1057‐1135(天喜5‐保延1)
平安末期の僧。源基平の子で後三条天皇の孫にあたる。園城寺(おんじようじ)(三井寺)の明尊の弟子となり,17歳のときから大峰,真木尾,熊野など霊山をめぐって苦行し験力を讃えられ,鳥羽天皇皇后待賢門院璋子の病を加持して名声を得た。1116年(永久4)園城寺長吏,18年(元永1)四天王寺別当,23年(保安4)天台座主(ざす)に任じられたが延暦寺僧徒の反対で辞退。25年(天治2)大僧正となり,宇治平等院を本寺としたので平等院僧正とよばれた。

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大辞林 第三版の解説

ぎょうそん【行尊】

1057~1135) 平安後期の僧・歌人。平等院大僧正と称される。源基平の子。園城寺長吏・天台座主・大僧正。「金葉和歌集」以後の勅撰集に入集。家集に「行尊大僧正集」がある。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

行尊
ぎょうそん
(1047/57―1135)

平安末期の天台宗の僧。通称を平等院(びょうどういん)大僧正という。参議源基平(もとひら)の子。12歳のとき園城寺(おんじょうじ)で出家し、17歳から諸国を遊歴、大峰(おおみね)山、葛城(かつらぎ)山などの修験(しゅげん)霊場で修行した。祈祷(きとう)に優れ天皇の病を祈り験(しるし)があったという。のち三井平等院に入り、1116年(永久4)園城寺長吏となって百座仁王講(にんのうこう)を始め、毎年修するのを例とした。23年(保安4)44世天台座主(ざす)に任ぜられたが、6日で辞した。和歌に秀で、『金葉』『詞花』『千載(せんざい)』『新古今』などの勅撰(ちょくせん)集に多くの歌が収められている。また画もよくし、衣冠を着けて歌を詠んでいる柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)像を夢にみて写したという画があり、人麻呂像の最初のものとされる。[塩入良道]

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世界大百科事典内の行尊の言及

【西国三十三所】より

…伝承によると,大和長谷寺の徳道上人,あるいは花山法皇が,仏道を求めて観音の霊場を一巡したことに始まるといわれる。三井園城寺の僧で,修験者として有名な行尊(1055‐1135)が始めたとも伝えられるが,札所の寺を詳細に検討すると,創立年代が事実とあわない点から,これらの説を用いることはできない。むしろ,1161年(応保1)正月に三十三所を巡礼した後で記した,覚忠の《巡礼記》の記事は信頼するに足るもので,彼によって創始されたものと考えてよかろう。…

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