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源俊房 みなもとのとしふさ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

源俊房
みなもとのとしふさ

[生]長元8(1035)
[没]保安2(1121).11.12.
平安時代後期の廷臣。師房の長子。母は藤原道長女。父が源姓を賜わって以来,村上源氏の勢いは摂関家をしのぐほどとなった。永保3 (1083) 年俊房,顕房の兄弟で左右大臣を占め,また堀河天皇外戚としても力があった。日記『水左記』を残している。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

源俊房 みなもとの-としふさ

1035-1121 平安時代後期の公卿(くぎょう)。
長元8年生まれ。源師房(もろふさ)の長男。母は藤原道長の娘尊子。天喜(てんぎ)5年(1057)参議。同年娟子(けんし)内親王と通じたため一時蟄居(ちっきょ)。その後は昇進をかさね,永保3年(1083)左大臣となり40年在任。従一位。のち皇位継承にからんで立場をわるくし,実権は弟の源顕房(あきふさ)にうつった。堀川左府とよばれる。詩文,書にすぐれた。保安2年11月12日死去。87歳。法名は寂俊。日記に「水左記」。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

朝日日本歴史人物事典の解説

源俊房

没年:保安2.11.12(1121.12.23)
生年:長元8(1035)
平安後期の公卿。堀河左大臣と称される。従一位。右大臣源師房の長男で母は藤原道長の娘尊子。村上源氏。永承5(1050)年16歳で従三位(非参議)となり6年後に参議。しかし前斎院娟子内親王に通じたことで後冷泉天皇勅勘にあい,一時蟄居を余儀なくされた。その後は昇進を重ね永保2(1082)年右大臣,1カ月後に左大臣となり,以後死去するまで大臣の職にあること40年間におよんだ。永保3年右大臣となった弟の顕房と左右の大臣を独占し,例のないことといわれた。才学があり詩文を作ることに抜きん出ていたという。日記に『水左記』がある。

(朧谷寿)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

世界大百科事典 第2版の解説

みなもとのとしふさ【源俊房】

1035‐1121(長元8‐保安2)
平安後期の公卿。右大臣師房の長男。母は摂政藤原道長の女尊子。16歳で早くも従三位に昇り,累進して1082年(永保2)右大臣となり,翌年左大臣に進み,白河,堀河,鳥羽3代39年にわたって一上(いちのかみ)(筆頭公卿)の座を占めた。1121年正月上表辞官,2月出家して寂俊と号したが,11月12日没した。その極楽往生の相を伝える《後拾遺往生伝》によれば,政理世務に通じ,詩文に巧みにして,書もよくしたという。

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世界大百科事典内の源俊房の言及

【水左記】より

…左大臣源俊房の日記。〈源〉の偏と〈左大臣〉の左を合わせて《水左記》と称するが,その家号〈土御門〉にもとづき《土左記》《土記》ともいい,邸宅の所在地〈堀河〉にちなんで《堀河左府記》ともいう。…

※「源俊房」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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