朝日日本歴史人物事典 「鎌田正清」の解説
鎌田正清
生年:保安4(1123)
平安後期の武士。遠江国(静岡県)出身か。鎌田通清の子。源義朝の家人で,乳母子。保元の乱(1156)では,京の白河殿で源為朝と戦い,その頬を射るなど活躍。乱に勝利した義朝が父為義の首を討つべき勅命を受けて苦慮すると,知恵を授け,七条朱雀で為義の首をはねた。平治の乱(1159)で一時藤原信頼が政権を掌握すると,兵衛尉に任じられ政家と改名した。平清盛に敗れ義朝と共に東国へ落ち,尾張国に住む舅長田忠致を頼ったが,裏切られ,義朝と共に殺された。
(高橋秀樹)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報