勝願寺跡(読み)しようがんじあと

日本歴史地名大系 「勝願寺跡」の解説

勝願寺跡
しようがんじあと

[現在地名]飯山市大字旭

南条集落の北側平坦地にあり、跡地は現在西本願寺末正行しようぎよう寺の屋敷地となっている。

寺伝によれば建保年間(一二一三―一九)親鸞が常陸国稲田いなだに居住の時、信濃国の住人井上善勝が帰依、その子善性が下総国久我の磯部くがのいそべに住し親鸞に師事、一寺を創立して勝願寺と号した。その後天正九年(一五八一)善性一六世善栄によって信州南条村に移る(「寺社領并由緒書」西敬寺蔵)

慶長三年(一五九八)頃の信州長沼ながぬま(現長野市)城主関長門守一政の安堵状(瑞泉寺文書)に「勝願寺山屋敷之儀、如先規少も不可有相違候間」とみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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