北内貴村
きたないきむら
[現在地名]水口町北内貴
氏河原村の東、佐山丘陵の西端盆天山西麓に位置。北を野洲川が西流し、水口美濃部村との境をなす。東内貴村・西内貴村も含め三内貴村とも称された。中世は蔵田庄に含まれたとされ、江戸時代は山尾(山直)郷を称した。蔵田庄は当村と水口美濃部村二村にわたったらしく、当村は江戸時代を通じ水口美濃部村の本郷を称し、水口神社の神事・雨乞において種々の特権を有した(→水口神社)。天文三年(一五三四)一一月一日の山中橘左衛門徳政落居契状案(山中文書)に北内貴とみえる。なお「太平記」巻三五(尾張小河東池田事)で、仁木氏の軍勢が退いた「内貴田井」は当地付近のこととみられる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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