水口宿(読み)みなくちしゆく

日本歴史地名大系 「水口宿」の解説

水口宿
みなくちしゆく

東海道五三宿の一。東の土山つちやま宿(現土山町)まで二里半七町、西の石部いしべ宿(現石部町)まで三里半(宿村大概帳)。宿は水口美濃部みなくちみのべ村に属し、幕末には宿内に三〇余町を数えた。また水口藩城下町としての性格も備え、郡内最大の町場であった。

〔沿革と規模〕

伊勢大路が通り、室町時代には宿村および市場として発達がみられた。嘉元四年(一三〇六)頃の成立という「如法寺殿紀行」に、伊勢へ抜けるため「みなくち」を過ぎたことが記されるのをはじめ、伊勢参宮道中の記録が多い。応永一〇年(一四〇三)一〇月、室町将軍足利義満が伊勢参宮の途次「水口」を通っており(吉田家日次記)、同二一年一二月には将軍足利義持が参宮の途次当地に宿泊し、「月影もこほれる水のみなくちに同じ宿かる夜半のさむけさ」と詠んでいる(室町殿伊勢参宮記)。また永享五年(一四三三)三月の将軍足利義教の宿泊も知られる(伊勢紀行)。一方、伊勢越ばかりでなく、伊賀に抜ける道もあったことが文明五年(一四七三)五月、一条兼良が美濃からの帰途武佐むさ(現近江八幡市)を経て水口を過ぎ、大和に向かったことから知られる(藤川の記)

中世の当地の様子をよく知りうるものとして連歌師宗長の「宗長日記」があり、大永七年(一五二七)三月四日条に「甲賀水口といふ里は十町はかりつゝきて、昔御参宮の御所なともおもひ出られ罷すくる程に、此所関おほく門門より関々といふ声を聞て、水口に我やみゆらん門ことにせきよせきよともろこゑによふ」とある。当時の水口が町並をなし、宿泊施設などを備えていたことがうかがわれる。天文一〇年(一五四一)七月の美濃部・武嶋公事申合条々案(山中文書)に「水口市枡」、永禄六年(一五六三)六月一六日の伴村岡田地売券案(同文書)に「水口銭枡」の記載があり、当地を中心とした地域経済の成立が考えられる。

天正一三年(一五八五)には水口岡山みなくちおかやま城の城下町として整備され、近世の町としての基礎がつくられた。文禄二年(一五九三)閏二月、京都・草津とともに駅夫四〇人の調達が命じられている(文禄日記)。徳川氏によって街道が整備され、慶長六年(一六〇一)その宿駅に指定された。同年一月には伊奈忠次・彦坂元正・大久保長安が連署した伝馬定書(水口宿文書)が水口年寄中に宛て下達されており、伝馬三六疋の常備、伝馬一疋につき六〇坪都合二千一六〇坪の居屋敷の地子免除などが定められている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

事典・日本の観光資源 「水口宿」の解説

水口宿

(滋賀県甲賀市)
湖国百選 街道編」指定の観光名所。

出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報

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