日本歴史地名大系 「水口神社」の解説
水口神社
みなくちじんじや
旧水口宿の西方、水口城跡の南東、
社伝によれば、往古は東西三〇町・南北二五町の社地を有したが、永禄年間(一五五八―七〇)その大半を失い、天正年間(一五七三―九二)さらに社領一三〇石を没収され、五四間四方の境内を有するのみとなったという。延宝七年(一六七九)の地子赦免帳(水口宿文書)にも大宮大明神とみえ、境内五六間四方とある。社殿の造営・改修は寛文四年(一六六四)・元禄一〇年(一六九七)・正徳二年(一七一二)・享保一九年に行われたと伝え、うち寛文と享保のものは文書や棟札により確認できる。現在の本殿は明治三〇年(一八九七)、拝殿は弘化元年(一八四四)の建造である。
水口神社
みなくちじんじや
水口神社
みなぐちじんじや
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報