水口神社
みなくちじんじや
[現在地名]水口町宮の前
旧水口宿の西方、水口城跡の南東、沢田に鎮座する。旧県社。「延喜式」神名帳に記す甲賀郡八座のうち「水口神社」に比定される。「三代実録」貞観元年(八五九)正月二七日条によれば、従五位下から従五位上に進階している。古くから大宮と称され、大永二年(一五二二)四月二七日の柏木三方中惣起請文(柏木神社文書)に美濃部大宮大明神とみえる。祭神は大水口宿禰命で、大己貴命・素盞嗚命・稲田姫命を配祀。当社社家の石王氏日記(社蔵)の享保(一七一六―三六)初年条は本社(大宮)の祭神を大己貴命・素盞嗚命・稲田姫命とし、摂社御武社(現武雄神社)の祭神は武甕槌神・経津主神とする。
社伝によれば、往古は東西三〇町・南北二五町の社地を有したが、永禄年間(一五五八―七〇)その大半を失い、天正年間(一五七三―九二)さらに社領一三〇石を没収され、五四間四方の境内を有するのみとなったという。延宝七年(一六七九)の地子赦免帳(水口宿文書)にも大宮大明神とみえ、境内五六間四方とある。社殿の造営・改修は寛文四年(一六六四)・元禄一〇年(一六九七)・正徳二年(一七一二)・享保一九年に行われたと伝え、うち寛文と享保のものは文書や棟札により確認できる。現在の本殿は明治三〇年(一八九七)、拝殿は弘化元年(一八四四)の建造である。
水口神社
みなくちじんじや
[現在地名]安芸市畑山
畑山本村の安芸川西岸山麓に鎮座。祭神は敏達天皇・蘇我赤兄・蘇我乙麻呂・水波女命。畑山本村の氏神で旧郷社。社伝によれば永暦二年(一一六一)の創建というが明らかでない。「高知県神社明細帳」によれば応永一三年(一四〇六)に領主が寄進した鰐口があり、銘に「畑山水口神社」とあったという。安芸一帯を支配した安芸元綱が天文二一年(一五五二)に社殿を造営している(「南路志」所引棟札)。
水口神社
みなぐちじんじや
[現在地名]天理市渋谷町上山
景行天皇陵に比定される渋谷向山古墳陪冢西に鎮座。祭神水口大神。旧村社。俗に天皇社と称する。もとは東方のイモノミナグチという所にあったと伝える。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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