北半町(読み)きたはんちよう

日本歴史地名大系 「北半町」の解説

北半町
きたはんちよう

[現在地名]堺市北半きたはんひがし北半きたはん西にし

大道を挟む両側町。大道の最北端にあり、北は土居どい川に接する。元禄二年(一六八九)堺大絵図に「北半町」とあり、東頬五筆・西頬四筆の宅地からなる。東頬北隅に記される平野屋四郎兵衛は延宝年中(一六七三―八一)中国安南に居住した商人(通航一覧)。堺の馬持は早くから馬座を組織し、天正七年(一五七九)織田信長によって、南北馬座人に対して先規を免許されるなどの伝統を有しており、近世には北半・南半両町にその会所を置いたとされるが、前掲絵図には記されていない。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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