衣川(読み)コロモガワ

デジタル大辞泉 「衣川」の意味・読み・例文・類語

ころも‐がわ〔‐がは〕【衣川】

北上川の支流。岩手県奥州市を流れ、平泉町で北上川に注ぐ。[歌枕]

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精選版 日本国語大辞典 「衣川」の意味・読み・例文・類語

ころも‐がわ‥がは【衣川】

  1. [ 一 ] 岩手県南西部、国見山の北側を流れる北股川、南側を流れる南股川を合わせて東流する川。平泉付近で北上川に注ぐ。
  2. [ 二 ] 岩手県南西部の地名。衣川の流域にあり、前九年・後三年両役の遺跡が多い。歌枕。
    1. [初出の実例]「たもとよりおつる涙はみちのくの衣河とぞいふべかりける〈よみ人しらず〉」(出典:拾遺和歌集(1005‐07頃か)恋二・七六二)

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日本歴史地名大系 「衣川」の解説

衣川
ころもがわ

衣川村上衣川の北辺を沢水を合せながら南東流、途中百袋もたい南股みなみまた(古称加美川)を合せ(南股川と合流するまでを北股川ともいう)、下衣川を蛇行しながら西磐井にしいわい郡平泉町中尊寺の北麓を経て、同町で北上川に注ぐ。一級河川で指定区間の流路延長二七キロ。昭和三〇年代に増沢ますざわダムが築造されたため、現在は同ダム下流の大平おおたいら辺りが衣川の起端となっている。同ダムへはこび山・高檜能たかひのう山などの沢水が流入している。衣川の名称は上流にある衣滝に由来するといわれ、「上衣川村安永風土記」は衣滝で弘法大師が衣をすすいだため滝の名が生じたという伝説を紹介している。また往古高檜能山の五輪ごりん谷上に天人が降りて天の羽衣を乾かしたことより起こったという伝説もある(衣川村誌)

江戸時代中頃までの衣川は、同川から水を引く北大堰・南大堰がなかったため流量が豊かで、雪解けや大雨のときは激流となった。

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改訂新版 世界大百科事典 「衣川」の意味・わかりやすい解説

衣川 (ころもがわ)

岩手県南西部,平泉丘陵の北麓を東流して北上川に注ぐ川。長さ約30km。上流は,媚(こび)山に源を発し断層谷を東流する北股川と,高手山に発し餅転(もちころばし),大原,南股の峡谷をなす南股川に分かれ,両川が奥州市の旧衣川村東部で合流して衣川となり,平泉町で北上川に合流する。北部流域は胆沢(いさわ)扇状地の南縁を限る衣川傾動地塊の南麓にあたる。
執筆者: 律令国家が陸奥国磐井・胆沢両郡の境界線に指定し,川沿いに営,柵,関,館などを設営。蝦夷服属の要地として注目を浴びた。《続日本紀》延暦8年(789)5月12日条〈官軍(衣)河を渡りて営を三処に置く〉記事を初見史料として,正史,軍記に頻出。歌枕ともなる。とくに俘囚長安倍氏の奥六郡管轄以来,政治的に特別の意味をもち,前九年の役の攻防線となった。安倍氏の反乱は〈衣川関を封ず〉ことに始まり,〈衣川関を出て諸郡官物を徴収〉して拡大(《陸奥話記》)した。衣川柵を破った源義家の〈衣のたてはほころびにけり〉の歌に,安倍貞任が〈年をへし糸の乱れの苦しさに〉と返したという(《古今著聞集》)。藤原清衡は衣川南岸部に平泉を開き,源義経は衣川館で最期を迎えた。白河関から外ヶ浜に至る陸奥大道の中央にありとうたわれた衣川関も,平泉滅亡とともに政治的生命を終えた。
執筆者:


衣川(旧村) (ころもがわ)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「衣川」の意味・わかりやすい解説

衣川
ころもがわ

岩手県南西部,奥州市南部の旧村域。一関市北西に位置する。 2006年水沢市,江刺市,前沢町,胆沢町と合体して奥州市となった。旧村名はこの地に残る羽衣伝説に由来する。大部分奥羽山脈山地で占められ,木材生産が行なわれる。東部の衣川流域に広がる北上盆地沖積地では稲作が行なわれていたが,減反政策のため多角化が進んだ。安倍頼時・貞任の居館跡,衣川柵跡など,前九年の役後三年の役の遺跡が多い。大森地区に衣川青少年旅行村,国見山には国見平スキー場があり,観光業に力を入れている。

衣川
ころもがわ

岩手県南西部,平泉丘陵の北麓を東流して北上川に注ぐ川。上流は媚山に源を発する北股川と高手山から発する南股川。両川が上衣川付近で合流して衣川となる。アユ,ウグイの釣場で,訪れる人が多い。流域には衣川柵跡など前九年の役後三年の役の遺跡が多い。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「衣川」の意味・わかりやすい解説

衣川
ころもがわ

岩手県南西部、胆沢郡(いさわ)にあった旧村名(衣川村(むら))。現在は奥州(おうしゅう)市の南西部を占める地域。2006年(平成18)水沢市(みずさわし)、江刺市(えさしし)、胆沢(いさわ)郡前沢町(まえさわちょう)、胆沢町と合併して奥州市となった。旧村域の東端を国道4号が通り、東北自動車道の平泉前沢インターチェンジに近い。奥羽山脈東麓(とうろく)にあり、80%が森林で占められる。北股(きたまた)川、南股川、衣川沿いにわずかに水田が開け、肉牛飼育や植林事業が活発である。平泉(ひらいずみ)町に北接し、前九年・後三年の役の古戦場や長者原(ちょうじゃがはら)廃寺跡(県史跡)などの遺跡が多い。ふるさと自然塾、国見平スキー場などがある。

[川本忠平]

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百科事典マイペディア 「衣川」の意味・わかりやすい解説

衣川【ころもがわ】

岩手県南部,奥羽山脈の東に発し,平泉町で北上川に注ぐ。長さ54km。下流一帯は源義経最期の地と伝える衣川館(高館)跡,安倍頼時・貞任居館の衣川柵跡,前九年・後三年の役古戦場など阿倍氏奥州藤原氏の史跡が多い。また歌名所として中世より知られている。
→関連項目平泉平泉[町]

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世界大百科事典(旧版)内の衣川の言及

【鬼怒川】より

…栃木県北西部,鬼怒沼湿原に源を発して県内を貫流し,茨城県西部を南流して利根川に合する川。古くは毛野(けぬ)川といわれ,絹川,衣川とも書かれた。全流域面積1760.6km2,幹川流路延長176.7kmは利根川の支流中最大。…

【前九年の役】より

…貞任は戦死し,降参した宗任(むねとう)らの一族は伊予国と大宰府に流されて,安倍氏は滅亡した。源義家が貞任に〈衣のたてはほころびにけり〉と歌いかけ,貞任が〈年をへし糸のみだれのくるしさに〉とつけたという故事は,この乱の一環の衣川の戦のときのこととされている(《古今著聞集》)。この乱はふつうは俘囚安倍氏の国家に対する反乱とされているが,同時に勃興しつつある武士の私闘の側面をももっており,その実相は複雑である。…

【源義家】より

…そのほか,《古今著聞集》《古事談》や《陸奥話記》《奥州後三年記》《源平盛衰記》などの説話や軍記物に所伝が頻出する。有名なものとしては,前九年の役の衣川(ころもがわ)の戦で敗走する安倍貞任(さだとう)に〈衣のたては綻(ほころ)びにけり〉とうたいかけたところ,貞任が〈年を経し糸のみだれのくるしさに〉と答えたので,その教養に感じて矢をおさめたという話(《陸奥話記》),京へ帰って貞任討伐の自慢話をしたところ大江匡房に〈惜しむらくは兵法を知らず〉と言われ,かえって喜んで匡房に弟子入りして兵法を学んだこと,そして〈兵野に伏すとき,雁列を破る〉との兵書の教えから,後三年の役では斜雁の列の乱れをみて伏兵を知ることができたとの話(《奥州後三年記》)などがあげられる。 義家伝説を大別すると,(1)戦闘での武勇伝と,従者や武勇之仁に対する武将としての思いやりを描いたもの,(2)そこから派生して義家の名や声を聞いただけで猛悪な強盗も逃げ出すというような,〈同じき源氏と申せども,八幡太郎は恐ろしや〉(《梁塵秘抄》)に発展する類のもの,(3)さらに義家によって物の怪(もののけ)や悪霊さえも退散するという神格化された武勇神とでもいうべき義家像を描いたもの,の3種がある。…

【源義経】より

…西海にのがれようとして摂津の大物浦に船出したが難破し,そののちは畿内一帯に潜伏して行方をくらまし,やがて奥州にのがれて藤原秀衡(ひでひら)の庇護を求めた。しかし秀衡の死後,その子泰衡は頼朝の圧迫に抗しえず,89年閏4月30日,義経を衣川の館に襲撃し,これを自害させた。数奇な運命にもてあそばれた悲劇的な義経の生涯は,多くの人々の同情を集め,後世には彼を英雄視する伝説・文学を生む結果となり,世に〈判官びいき〉の風潮を作った。…

※「衣川」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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