金剛砂御薗(読み)こんごうしやのみその

日本歴史地名大系 「金剛砂御薗」の解説

金剛砂御薗
こんごうしやのみその

興福寺寺務領荘園。応永六年(一三九九)の興福寺造営段米田数帳(春日神社文書)の葛下郡に「寺方 金剛砂御薗 二十二町一反小卅歩」とある。

所在などは「大乗院雑事記」長禄二年(一四五八)閏正月一九日条に「片岡内自大坂金剛砂并加地子米二石余事、康正元年以来無沙汰事申入之由云々、寺門ニ可披露旨返答了」とあり、所在は、現大字穴虫あなむし小字大阪おおざか辺りと考えられる。金剛砂のほか加地子米を康正元年(一四五五)以来無沙汰している状況をもうかがいうる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「金剛砂御薗」の意味・わかりやすい解説

金剛砂御薗 (こんごうしゃのみその)

金剛砂は柘榴石の小結晶。エメリーともいう。玉石を切り,研磨するのに用いる。《続日本紀》天平15年(743)9月13日条に官奴斐太が大和二上山の東北,大坂(逢坂)の砂をもって玉石を治めたとあるのが初見。平安時代,この地の辺は金剛砂御薗となり,蔵人所の支配下にあった(《西宮記》)。御薗の田畠は金剛荘ともいわれ,1272年(文永9)には興福寺領であったことが知られ(春日社記録),1399年(応永6)興福寺造営段米が22町1反小30歩の田地に賦課されている。御薗および金剛砂商人に対する蔵人所一﨟出納中原氏の支配も室町期まで維持され,中原職豊は,1458年(長禄2)片岡内大坂よりの金剛砂および加地子米2石余の沙汰がないと興福寺に申し入れ,1461年(寛正2)には長年一﨟出納の知行下にあった大和金剛山の金剛砂が,洪水で流れ出したのを盗み売りする者がある,と朝廷に訴えている。楠木正成本拠に近い金剛山に金剛砂商人の集団があったことは注目してよい事実と思われる。
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