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木沢長政 きざわ ながまさ

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

木沢長政 きざわ-ながまさ

?-1542 戦国時代の武将。
摂津の人。はじめ畠山義宣,のち細川晴元の家臣。河内(かわち)飯盛城,大和信貴山(しぎさん)城,山城笠置(かさぎ)城による。法華一揆(ほっけいっき)の力を利用したり,畿内(きない)の武将の紛争に介入するなどして権力を維持。遊佐長教(ゆさ-ながのり),三好政長らとたたかい,天文(てんぶん)11年3月17日,河内太平寺で討ち死にした。

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朝日日本歴史人物事典の解説

木沢長政

没年:天文11.3.17(1542.4.2)
生年:生年不詳
戦国時代の武将,河内(大阪府)守護畠山氏の守護代。のち細川高国,細川晴元に属し畿内の戦乱に参加する。享禄3(1530)年より晴元に従い,京都を守備。翌年2月には高国方の内藤彦七らと戦い,これを撃退した。同年7月,高国方の細川尹賢を摂津富田に滅ぼし,その功により飯盛城(四条畷市)城将となる。天文1(1532)年,旧主畠山義尭はこれを憤って飯盛城を攻めたが,長政は晴元に助けを請い,晴元は本願寺証如に長政支援を依頼したので,義尭は一向一揆の攻撃を受け河内石川道場に自刃した。翌2年晴元と共に法華一揆の力を借りて本願寺を攻め,やがて証如と和したが一向一揆とは対立を続け,同5年一揆を摂津中島に破った。飯盛城に義尭の弟在氏を擁立し,次いで大和国に信貴山城を築いて勢威を広げ,9年7月には父浮泛と義絶,10年8月には,遊佐長教と謀って長教の旧主畠山長経を殺害した。同年10月,晴元方の三好範長・政長らの攻撃を受けた摂津国一庫城の塩川政年救援のため派兵するが,同年11月には晴元と和議を結んでいる。11年3月,長教が主畠山政国を放逐してその兄畠山稙長を紀伊国より迎えようとすると,長政は政国を助けて河内国高屋城(羽曵野市)に稙長を攻めた。しかし長教,稙長らに迎え撃たれて,同年3月17日太平寺での合戦に敗れ,捕らえられて刺殺された。

(森田恭二)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典内の木沢長政の言及

【信貴山城】より

…元弘の乱(1331)後,護良(もりよし)親王が一時中腹の朝護孫子寺毘沙門堂に拠ったように,南北朝時代いらいたびたび国人らが陣所とした。本格的築城は1536年(天文5)が最初で,河内の木沢長政が大和の制圧を目ざし,築城して居城とした。しかし長政は41年河内太平寺の一戦に敗死し,当城も焼けおちた。…

※「木沢長政」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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