木沢長政(読み)きざわ ながまさ

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「木沢長政」の解説

木沢長政 きざわ-ながまさ

?-1542 戦国時代の武将
摂津の人。はじめ畠山義宣,のち細川晴元の家臣河内(かわち)飯盛城,大和信貴山(しぎさん)城,山城笠置(かさぎ)城による。法華一揆(ほっけいっき)の力を利用したり,畿内(きない)の武将の紛争に介入するなどして権力を維持。遊佐長教(ゆさ-ながのり),三好政長らとたたかい,天文(てんぶん)11年3月17日,河内太平寺で討ち死にした。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の木沢長政の言及

【信貴山城】より

…元弘の乱(1331)後,護良(もりよし)親王が一時中腹の朝護孫子寺毘沙門堂に拠ったように,南北朝時代いらいたびたび国人らが陣所とした。本格的築城は1536年(天文5)が最初で,河内の木沢長政が大和の制圧を目ざし,築城して居城とした。しかし長政は41年河内太平寺の一戦に敗死し,当城も焼けおちた。…

※「木沢長政」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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