下郡(読み)しもごおり

日本歴史地名大系 「下郡」の解説

下郡
しもごおり

北方きたがた地方のうち、吉野川中・下流域の板野いたの名東みようどう名西みようざい麻植おえ・阿波の五郡をさし、阿波・麻植両郡境の阿波郡阿波町岩津いわづの淵狭窄部より上流域の、上郡かみごおりに対する慣用的な地域区分名称。上郡とは気候・風土のみならず、生活様式や方言などもやや異なる。吉野川の右岸(南岸)には鮎喰あくい川・飯尾いのお川・川田かわた川、左岸(北岸)には伊沢谷いさわだに川・日開谷ひがいだに川・宮川内谷みやごうちだに川などの支流がある。岩津狭窄部から東流する吉野川は当地方で大きく蛇行・乱流を繰返し、名西郡石井いしい町の第十だいじゆう堰付近で北東流する旧吉野川(かつての吉野川本流)を、さらに旧吉野川は板野北島きたじま町の高房三ッ合たかぼうみつあい今切いまぎれ川を分流して、楔形の徳島(吉野川)平野を形成した。吉野川およびその分流沿岸には、微高地をなす幅数十―数百メートルに及ぶ自然堤防帯がよく発達し、古い集落はこれらの上に立地している。吉野川およびその分流の河口付近には、徳島市沖洲おきのすから鳴門市里浦さとうら町地区にかけて沿岸洲が発達していて、その西側の徳島市川内かわうち町地区や板野郡松茂まつしげ町一帯にはラグーン(潟湖)状の入江がみられたが、近世以降の新田開発によってしだいに陸地化された。

吉野川支流の鮎喰川下流域には弥生時代の遺跡や矢野やの古墳(徳島市)気延山きのべやま古墳群(同市・石井町)があり、三角洲性扇状地上の徳島市国府こくふ町地区一帯には阿波国府国分寺国分尼寺が置かれ、古代阿波における政治・文化の中心地をなした。


下郡
かずらきのしもぐん

現大和高田市の大部分、現北葛城郡新庄町北半および當麻たいま町・香芝かしば町・上牧かんまき町・王寺町全域に及んだ郡。古くは葛上郡とともに葛城かつらぎ国・葛城県(→葛上郡の地域。「日本書紀」天武天皇一三年条に「倭の葛城下郡」、藤原宮出土木簡に「倭国 葛下郡」、香芝町出土の慶雲四年(七〇七)の威奈大村骨蔵器に「葬於大倭国葛木下郡山君里」、「続日本紀」天平六年(七三四)六月一四日条に「大倭国葛下郡人白丁花口宮麻呂、散己私稲、救養貧乏、仍賜少初位上」とある。「延喜式」(民部)に「葛下」とあり、「和名抄」では神戸かんべ山直やまたへ高額たかぬか賀美かみ蓼田たでた品治ほむち当麻たいまの七郷がみられ、刊本に「加豆良木乃之毛」と訓ずる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の下郡の言及

【郡】より

…評も郡もともに〈こおり〉と読まれたらしいが,郡は評を継承しつつ701年(大宝1)の大宝令の制定とともに始まり,〈改新之詔〉はそれにもとづいて作文されたものと考えられている。令の規定では,50戸よりなる1里(のち郷と改称)で20里以下16里以上を大郡,12里以上を上郡,8里以上を中郡,4里以上を下郡,2里以上を小郡とし,各郡ごとに郡家(ぐうけ)とよばれる役所を置き,郡司(大領・少領・主政・主帳の四等官)が政務をとった。713年(和銅6)5月,《風土記》の撰進が命ぜられたのと同時に郡郷の名には好字が使われるようになった。…

※「下郡」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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