日本歴史地名大系 「北安東庄」の解説 北安東庄きたあんどうのしよう 静岡県:静岡市旧安倍郡地区北安東村北安東庄静岡平野の中央部、旧駿府の東側で、駿府と江尻(えじり)(現清水市)を結ぶ北(きた)街道の北側に比定される。貞和元年(一三四五)一一月二日の工藤衛門入道娘比丘尼しけん売券(米良文書)によると、熊野那智山兵部卿律師に一〇貫文で「きたあんとうのしやうのうちあをいミやうのりやうけねんくまい」が売渡されており、葵(あおい)名の領家年貢米は米二石五斗・銭八〇〇文である。観応三年(一三五二)九月二一日、「菖蒲谷安東太郎左衛門尉知行分」を除く「北安東庄半分」が遠江国山名(やまな)庄内新池(にいけ)郷(現袋井市)の替地として三浦宗久に与えられているが(「将軍足利尊氏下文写」浅羽本系図)、前記の葵名とは別個の地であったと考えられる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by