北曾木村(読み)ほくそぎむら

日本歴史地名大系 「北曾木村」の解説

北曾木村
ほくそぎむら

[現在地名]藤岡町北曾木

飯野いいの川の中流域にあり、北は二六〇―二八〇メートルの高さに立地し、南は急激に低くなり、西に折平おりだいら山のような六〇〇メートルを超える山を望む。岩村いわむら街道が通る。縄文時代のそとほら遺跡がある。寛永一二年(一六三五)時には足助あすけ(現東加茂郡足助町)の成瀬氏上知領、元禄一四年(一七〇一)には幕府領、宝暦五年(一七五五)吉田藩領、天保三年(一八三二)から九年にかけて再び幕府領となり、明治元年(一八六八)には豊橋藩に属する。

寛永六年に成瀬伊豆守検地が実施された。宝永三年(一七〇六)の村差出シ帳写(藤岡村誌)による戸口は、高持一三軒・水呑二軒の計一五軒・五三人である。


北曾木村
ほくそぎむら

[現在地名]西吉野村大字北曾木

和田わだ村の西方高所にある。加名生あのう郷のうち。慶長郷帳では村高一一五・二六石、幕府領(代官大久保長安)。のち延宝検地により村高は二五〇・八八九石と倍増した。賀名生あのう梅林とよばれ梅の名所として知られるが、梅の木は当村に最も多く、明治一五年(一八八二)の「大和国町村誌集」には、青梅二〇石の生産がみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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