岩村(読み)いわむら

精選版 日本国語大辞典 「岩村」の意味・読み・例文・類語

いわむらいはむら【岩村】

  1. 姓氏の一つ。

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日本歴史地名大系 「岩村」の解説

岩村
いわむら

[現在地名]真鶴町岩

東は相模湾、西は土肥吉浜どいよしはま(現湯河原町)、南は真鶴村、北は江之浦えのうら(現小田原市)と接し、村央を土肥道(熱海道)が南北に通る。

「吾妻鏡」治承四年(一一八〇)八月二七日条に源頼朝に先立ち石橋山合戦に敗れた北条時政らが「自土肥郷岩浦船」とある。また「源平盛衰記」には「真鶴岩が崎」より頼朝主従が船出したとしている。「風土記稿」には敵の追跡を免れた頼朝が喜びのあまり「いわう村」と命名したという村民の伝承を記している。滝門りゆうもん寺に伝来する宝永二年(一七〇五)銘の如来によらい(現廃寺)の半鐘銘文にも「相州祝里」とある。永禄七年(一五六四)一一月一〇日の北条家朱印状(県史三)は「岩小代官百姓中」に宛てられ、年未詳八月七日の石巻家貞書状写(同書)には「いや」、天正一二年(一五八四)六月晦日の北条家伝馬手形写(同書)に「岩村」とある。

近世は小田原藩領。寛永初期の村高六三石余(小田原領西筋村々高ノ帳)。特産は安山岩の小松石。南西の字専祖畑せんぞばたにある安政六年(一八五九)再建の石工先祖碑は、保元・平治の乱を避け京より下った土屋格衛を石材採掘の創始者と伝える。鎌倉極楽ごくらく寺の忍性塔や称名しようみよう(現横浜市金沢区)の北条(金沢)氏関係墓石、鎌倉和賀江わかえ嶋築港などに箱根火山系の安山岩が用いられていることから、すでに鎌倉時代には当村一帯で採石が行われていたことは疑いない。近世に入り徳川氏の江戸城築城により石材業が確立された。幕命を受けた諸大名は相模湾西岸の各地に採石場を開設し、当村海岸一帯にも水戸藩や尾張藩など諸大名の採石場が開かれ、築城が一段落した後も有事に備えての備蓄がなされ、尾張藩のように村にその管理をゆだねた藩もあった(「尾張様御自分御石預り帳」真鶴町蔵)


岩村
いわむら

[現在地名]岩村町 本町ほんまち柳町やなぎまち西町にしまち新町しんまち石畑いしばた一色いつしき領家りようけ山上やまがみ大通寺だいつうじ朝日町あさひまち新道しんみち江戸町えどちよう新市場あらいちば出町でまち殿町とのまちみどりおか大根洞だいこんぼら

阿木あぎ川支流の岩村川流域の高原性盆地にあり、北は富田とみだ村・飯羽間いいばま村、西は馬場山田ばばやまだ(現山岡町)、南はかみ村のうち(現上矢作町)。「蔭涼軒日録」長享二年(一四八八)八月二二日条に「遠山有三魁、第一号苗木、第二号明智、第三号岩村、皆千貫許分限」とあり、恵那郡に土着した遠山氏の一中心であった。


岩村
いわむら

[現在地名]岐阜市山県岩やまがたいわ山県岩中やまがたいわなか山県岩南やまがたいわみなみ山県岩西やまがたいわにし山県岩東やまがたいわひがし山県岩明光やまがたいわみようこう

太郎丸たろうまる村の北に位置する。中世は河西かわにし郷岩村として推移。慶長郷帳に村名がみえ、高六九六石余で、これは近世を通じて変わらない。元和二年(一六一六)の村高領知改帳では幕府領正保郷帳でも幕府領で、田六五一石余・畑四一石余・山年貢三石。元禄郷帳では旗本松平領で、以後同氏領として幕末に至るが、同氏領となった時期はつまびらかではない。


岩村
いわむら

[現在地名]三加和町岩

菊池川支流の岩村川の両岸に立地し、東は鍋田なべた(現山鹿市)、西は平野ひらの村、北は上岩村と接する。享禄二年(一五二九)三月二三日の角田右衛門尉宛菊池義宗義氏知行宛行状(津野田文書)にみえる「玉名郡東郷之内両岩村三十六町」は、当村と上岩村と思われる。天正一六年(一五八八)九月五日、当村の七〇石が田中半介に与えられる(「津田久次宛行状」合志文書)。慶長九年(一六〇四)九月の検地帳によると田一九町七反八畝余・畠屋敷二一町四反七畝余・屋敷筆数三〇、分米八三九石三斗余。


岩村
いわむら

[現在地名]賀陽町豊野とよの

竹井たけい村の枝村上岩かみいわ村の北にあり、宇甘うかい川の支流下市しもいち川の上流部を占める。刎田はねだ・岩村・吉倉よしくらなどの集落がある。永承元年(一〇四六)一一月一五日藤原家経が詠んだ「君か代はまさこのなれる石村を山のたか根にあふるへき哉」の石村は当村のことという(備中誌)


岩村
いわむら

[現在地名]市原市岩

やぶ村の南にある。文禄三年(一五九四)の上総国村高帳に村名がみえ、高一〇八石で、村高は幕末まで同様。寛政五年(一七九三)の上総国村高帳では家数八五で、旗本筧領。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「岩村」の意味・わかりやすい解説

岩村
いわむら

岐阜県南東部、恵那郡(えなぐん)にあった旧町名(岩村町(ちょう))。現在は恵那市の中央東部を占める一地区。1889年(明治22)町制施行。1954年(昭和29)本郷村と合併。2004年(平成16)恵那市に合併。旧町域の中央に明知鉄道(あけちてつどう)が通じ、国道257号、363号、418号が走る。岩村藩(1702年以後松平氏)3万石の城下町を母体とし、恵那郡南部の商業中心町として発達した。町並みに城下町の名残(なごり)をとどめる岩村町本通りは、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。江戸時代の儒学者林述斎(じゅっさい)、佐藤一斎(いっさい)や下田歌子(うたこ)ら多くの名士を生んだ所で、岩村歴史資料館などがある。標高721メートルの城山にあった岩村城は、鎌倉時代、加藤景廉(かげかど)によって築かれた山城(やまじろ)で、城跡からの眺めが雄大。富田(とみだ)ハナノキ自生地は国指定天然記念物。

[上島正徳]

『『岩村町史』(1961・岩村町)』


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百科事典マイペディア 「岩村」の意味・わかりやすい解説

岩村[町]【いわむら】

岐阜県南東部,恵那(えな)郡の旧町。中心の岩村は東濃(とうのう)山地中の小盆地にあり城下町として発達,恵那市から明知(あけち)鉄道が通じる。農業と製糸・製材業が盛んで,寒天を特産。2004年10月恵那郡山岡町,明智町,上矢作町,串原村恵那市へ編入。34.36km2。5621人(2003)。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「岩村」の意味・わかりやすい解説

岩村
いわむら

岐阜県南東部,恵那市中部の旧町域。美濃三河高原に位置する町。 1889年町制。 1954年本郷村と合体。 2004年恵那市,山岡町,明智町,串原村,上矢作町と合体して恵那市となった。江戸時代は松平3万石,岩村藩の城下町として発展。冬は晴天が続き,気温が低いため,古くから寒天の特産地として知られた。酒醸造業も行なわれる。典型的な山城である岩村城址がある。富田のハナノキ自生地は国の天然記念物。

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改訂新版 世界大百科事典 「岩村」の意味・わかりやすい解説

岩村 (いわむら)

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