北畠具行墓(読み)きたばたけともゆきのはか

国指定史跡ガイド 「北畠具行墓」の解説

きたばたけともゆきのはか【北畠具行墓】


滋賀県米原(まいばら)市柏原にある墓。後醍醐(ごだいご)天皇の側近だった北畠具行は、1331年(元弘1)の倒幕をめざした元弘の変で捕縛され、婆娑羅(ばさら)大名として知られる佐々木道誉(どうよ)によって護送されたが、翌年、幕府の命によって近江国柏原(現在の滋賀県米原市)の徳源院(とくげんいん)で斬首(ざんしゅ)された。それから16年後に宝篋印塔(ほうきょういんとう)が建てられた。具行は北畠師行(もろゆき)の子で、鎌倉時代末期の公卿。村上源氏(むらかみげんじ)だった北畠家の庶流にあたる初代の北畠雅家(まさいえ)の孫にあたり、北畠宗家4代目の北畠親房(ちかふさ)は具行の従兄弟の子にあたる。親房とともに後醍醐天皇に仕えて従二位権中納言に昇進し、和歌にも優れて「君の恩寵(おんちょう)も深かりき」と評されるほどの側近となった。1930年(昭和5)に国の史跡に指定された。JR東海道本線柏原駅から徒歩約30分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android