北益子村(読み)きたましこむら

日本歴史地名大系 「北益子村」の解説

北益子村
きたましこむら

[現在地名]益子町益子

益子村の北にあり、江戸時代初期には益子村の一部。明治六年(一八七三)の益子村・北益子村両村合併願書(飯塚昇文書)によれば、もとは黒羽藩領益子村一村で、寛永一〇年(一六三三)藩主の弟大関勘右衛門に分知されたことによって当村が成立したとある。しかし「寛政重修諸家譜」には正保三年(一六四六)大関増公(勘右衛門)が父高増の遺領のうち芳賀郡内の采地一千石を分知されたとあり、おそらくこのとき益子村から当村が分離したものと思われる。慶安郷帳には村名はみえず、元禄郷帳にみえる。増公の死後上知され、元禄(一六八八―一七〇四)頃より旗本石原領となり明治まで続く。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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