日本歴史地名大系 「益子町」の解説 益子町ましこまち 栃木県:芳賀郡益子町面積:八九・九六平方キロ芳賀郡南部にあり、東は茂木(もてぎ)町、西は真岡(もおか)市、北は市貝(いちかい)町、南は茨城県西茨城郡岩瀬(いわせ)町。東部は八溝(やみぞ)山地に属し、標高五三三・三メートルの雨巻(あままき)山や四三三メートルの足尾(あしお)山などが連なり山間地を形成する。西部は南流する小貝(こかい)川に沿って水田地帯が続く。東部山地から北部を小宅(おやけ)川・大羽(おおば)川、中央部を百目鬼(どうめき)川、南部をぐみ川が西流して小貝川に合流する。国道一二三号が北部七井(なない)地区を横断。国道二九四号が中央部を縦断し並行して真岡鉄道が通る。中央部益子地区は国道沿いに商店街を形成し、益子焼の窯元や販売店も多い。町域の三割強が田畑、六割強が山林の農村であるが、近年益子焼の生産が盛んになっている。町域には遺跡が多い。先土器時代のものとして山本の山居台(やまもとのさんきよだい)遺跡と前沢の前沢山根(まえざわのまえざわやまね)遺跡から珪岩製の石器が発見され、塙(はなわ)に星宮(ほしみや)A遺跡と塙遺跡がある。縄文から弥生時代の遺跡は本沼大塚(もとぬまおおつか)遺跡(本沼)・御霊前(ごれいまえ)遺跡(大沢)・聖(ひじり)ヶ丘(おか)遺跡(益子)・山居台遺跡、新福寺(しんぷくじ)遺跡(大沢)・長堤(ながつつみ)遺跡(長堤)など町内全域におよぶ。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「益子町」の意味・わかりやすい解説 益子〔町〕ましこ 栃木県南東部,小貝川沿いの下野平野南東部から八溝山地南端にある町。 1894年町制。中心地区の益子は中世益子氏の城下町。西端にカメラ工場が立地。周辺は米,タバコの集散地。益子焼と西明寺で知られ,その東方の小さな谷間に宇都宮氏の墓所と綱神社,地蔵院があり,西明寺,綱神社,地蔵院はいずれも重要文化財の建造物をもつ。町域の一部は益子県立自然公園に属する。面積 89.40km2。人口 2万1898(2020)。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by