日本歴史地名大系 「北花田村」の解説 北花田村きたはなだむら 大阪府:堺市北花田村[現在地名]堺市北花田町一―四丁・宮本(みやもと)町・新堀(しんぼり)町一―二丁・船堂(せんどう)町・東浅香山(ひがしあさかやま)町一―四丁・奥本(おくもと)町一―二丁など大和川の左岸に位置し、近隣の船堂村・奥(おく)村と村地は錯綜する。摂津国住吉郡に属する。当村域には弥生時代からの住居跡北花田遺跡がある。堺の豪商で茶人でもあった今井宗久は、永禄一二年(一五六九)八月織田信長のもとで年貢皆済などに関する五ヵ条の禁制(「今井宗久書札留」今井文書)を下したが、その宛所中に「花田村」とみえる。天正一一年(一五八三)豊臣秀吉は今井宗久に五箇(ごか)庄(現堺市・住吉区)七ヵ村二千二〇〇石の知行を与えたが、そのうちに北花田村の九二二石余が含まれている(今井文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by