北野庄(読み)きたののしよう

日本歴史地名大系 「北野庄」の解説

北野庄
きたののしよう

河北かわきた庄ともいう。当庄鎮守は天喜二年(一〇五四)京都北野社の分霊を勧請したという北野天満宮(法人名は天満神社)で、仁平二年(一一五二)に北野天満宮とある(同年二月一三日「北野天満宮田楽政所職補任状」梅津文書/平安遺文六など)。庄名は同社に由来するが、鎌倉期は河北庄とみえることが多く、北野氏(弘安七年三月四日「関東下知状案」北野神社文書/鎌倉遺文二〇など)地頭職をめぐる相論が繰返された(三井郡の→河北庄。建仁元年(一二〇一)「北野庄」二五〇町などに高良こうら(現久留米市)上宮の二階門楼一宇造営役が賦課されている(高良宮造営田数注文)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む