朝日日本歴史人物事典 「筑紫広門」の解説
筑紫広門
生年:弘治2(1556)
戦国から江戸時代初期にかけての武将。上野介。法名卓山夢庵。惟門の子。肥前国勝尾城(佐賀県鳥栖市)を本拠とし,同国東部から筑前国西南部(福岡県)にかけて勢力を有した。天正6(1578)年の耳川の戦後,大友氏に反旗を翻し,筑前岩屋城(太宰府市)を攻撃。しかし,娘と岩屋城督の高橋紹運の子統増の婚姻を機に大友方に転じた。同14年7月,島津軍に攻められ勝尾城は落城。翌15年豊臣秀吉から筑後国(福岡県)上妻郡を与えられ,2度の朝鮮出兵にも従った。関ケ原の戦では西軍(石田三成方)につき,合戦後は肥後(熊本県)の加藤氏に扶持された。<参考文献>『筑紫文書』
(佐伯弘次)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報