筑紫広門(読み)つくし ひろかど

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「筑紫広門」の解説

筑紫広門 つくし-ひろかど

1556-1623 織豊-江戸時代前期の武将
弘治(こうじ)2年生まれ。筑紫惟門(これかど)の子。肥前勝尾城(佐賀県)が本拠大友宗麟(そうりん)や島津義久(よしひさ)とたたかい敗れる。朝鮮出兵出陣関ケ原戦い石田三成(みつなり)に属し,敗れて加藤清正のもとに身をよせた。元和(げんな)9年4月23日死去。68歳。号は夢庵

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の筑紫広門の言及

【筑後国】より

…【佐伯 弘次】
【近世】

[政治]
 1587年九州平定を終えた豊臣秀吉によって〈国割り〉が実施され,筑後は北部が小早川隆景(2郡。生葉,竹野等の諸説がある),毛利秀包(ひでかね)(山本,三潴等),南部が立花宗茂(山門,三池,下妻等),筑紫広門(ひろかど)(下妻)に分け与えられた。 1600年(慶長5)の関ヶ原の戦の後,豊臣方に属した毛利秀包,立花宗茂,筑紫広門はいずれも改易された。…

※「筑紫広門」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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