十二后遺跡(読み)じゆうにのきいせき

日本歴史地名大系 「十二后遺跡」の解説

十二后遺跡
じゆうにのきいせき

[現在地名]諏訪市豊田 有賀

有賀峠諏訪側に下って平地に出る部分は峠からの沢押出しによる扇状地となる。この扇頂部北半、標高八五〇―八一〇メートルの間の一〇アール余の範囲に立地する。

古くから遺物採集の多い遺跡として知られていたが、昭和四九―五〇年(一九七四―七五)にわたる調査で、縄文時代前期から平安時代に継続する集落跡として確認された。主体となるのは縄文前期と平安時代で、ともに数十軒の住居跡が検出され、前者石鏃石匙など遺物量も著しく多い。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

関連語 出土

今日のキーワード

苦肉の策

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android