日本歴史地名大系 「十八女村」の解説 十八女村さかりむら 徳島県:阿南市十八女村[現在地名]阿南市十八女町深瀬(ふかせ)村の南西に位置し、南東は那賀(なか)川を挟んで加茂(かも)村、西は大井(おおい)村。坂入の転訛で、太龍寺(たいりゆうじ)山の坂下にあるので名付けられたという(阿波志)。慶長二年(一五九七)の分限帳に山田彦八郎知行分として那東(なとう)郡坂理(さかり)村四六石余とみえる。那東郡は那西(なさい)郡の誤りとみられる。慶長期のものと推定される国絵図には「さかり」、寛永(一六二四―四四)前期のものと推定される国絵図には「さかり村」と記され、那西郡に属した。正保国絵図では「大井之内十八女村」とあり、高の記載はない。寛文四年(一六六四)の郷村高辻帳でも大井村の枝村として同村の高に含まれた。加茂組庄屋帳(阿瀬川家文書)によれば、大井村内の野原が切開かれ、正徳年中(一七一一―一六)一村として取立てられたという。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報