千太村(読み)ちたむら

日本歴史地名大系 「千太村」の解説

千太村
ちたむら

[現在地名]米子市福市ふくいち

四日市よつかいち村の東、日野川西岸にあった。千田ちた村とも記す。「和名抄」の会見あいみ郡千太郷の遺称地とされる。近世には四日市村の枝郷で、享和三年(一八〇三)新田村として届出されたという(藩史)。天保郷帳では四日市村新田と注記され、高六一石余とある。耕作者の多くは四日市村内に居住していたとみられる。だが日野川の大洪水により流路が変わり、村は東西に分断されたらしい。その時期は元禄一五年(一七〇二)ともいわれるが未詳。「在方諸事控」弘化三年(一八四六)八月七日条によれば、当村は先年の大洪水で田畑・人家とも流失、「一村亡所」となり、村の中に川筋が付替わって東西に分断された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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