千崎村(読み)ちざきむら

日本歴史地名大系 「千崎村」の解説

千崎村
ちざきむら

[現在地名]小野田市大字千崎

現小野田市の北西端にあたり、大半が丘陵地で、西北末益すえます(現厚狭郡山陽町)、東北は高畑たかはた、南は東高泊ひがしたかとまり・西高泊の各村に接する。高泊開作たかとまりかいさくの取水池である江汐えじお池の土手が千崎・高畑両村の境界とされる。

弘治三年(一五五七)一〇月六日付の山口八坂神社文書(「寺社証文」所収)に「長州厚東郡船木郷内千崎村五石足同社御供料所同人執沙汰坪付別紙在之等」とみえ、毛利隆元が山口祇園社の大宮司松田氏に先代以来の社領、千崎村の五石の知行を承認している。

慶長一五年(一六一〇)検地帳に「千崎村」とあり、総石高三三八石余で、うち田二四町余で二五〇石余、畠七町余で二九石余、百姓屋敷三〇、塩浜方四三石余である。


千崎村
ちざきむら

[現在地名]加賀市美岬町みさきまち

大畠おばたけ村の北にあり、日本海に面する。北西端に尼御前あまごぜん岬がある。正保郷帳によると高二九六石余、田方八町七反余・畑方一二町三反余、物成高一一七石余。「江沼志稿」では村高四〇三石余、小物成には山役・茶役のほか漁業兼業の村らしく引網船役四六匁があり、家数二五・人数八一、馬二。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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