千日尼(読み)せんにちに

朝日日本歴史人物事典 「千日尼」の解説

千日尼

生年生没年不詳
鎌倉時代日蓮信者阿仏房尼ともみえる。佐渡国(新潟県)阿仏房日得の妻。夫は承久の乱(1221)で佐渡流罪となった順徳天皇(すでに上皇)の北面の武士であったと伝えるが詳細不明である。弘安3(1280)年の日蓮の書状によると,夫と共に佐渡在住中の日蓮に奉仕し,日蓮の身延入山後,夫が弘安2(1279)年に没すると,息子の藤九郎守綱を遣って夫の遺骨を身延に納骨し,さまざまな品を届けさせた。また日蓮の弟子を扶養していた。<参考文献>『日蓮聖人遺文』,高木豊「日蓮と女性檀越」(宮崎英修先生古稀記念会編『日蓮教団の諸問題』)

(西口順子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「千日尼」の解説

千日尼 せんにちに

?-? 鎌倉時代の尼僧
承久(じょうきゅう)の乱で佐渡に流された順徳天皇に夫遠藤為盛と奉仕し,天皇が島で死去すると,ともに剃髪して夫は阿仏房,妻は千日尼と号した。文永8年(1271)夫妻とも佐渡に配流されてきた日蓮の弟子となる。弘安(こうあん)2年(1279)子の盛綱身延山の日蓮のもとにつかわし,夫の遺骨をおさめた。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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