日本歴史地名大系 「千歳新田」の解説 千歳新田ちとせしんでん 大阪府:大阪市大正区千歳新田[現在地名]大正区小林西(こばやしにし)一―二丁目・南恩加島(みなみおかじま)五―六丁目・北恩加島(きたおかじま)二丁目・北村(きたむら)三丁目小林・岡田(おかだ)両新田の西に位置する。現大正区内の新田では江戸時代最後に開発された。もと尻無(しりなし)川に沿う寄洲で、文政一二年(一八二九)大坂九条(くじよう)村(現西区)の葭屋庄七が、泉尾(いずお)新田地先八二町三反余・千島(ちしま)新田地先五七町七反歩、計一四〇町余の開発を出願、許可を得た。しかし庄七は駆落ちし開発しなかったので、天保一一年(一八四〇)西成(にしなり)郡北長柄(きたながら)村(現大淀区)の百姓延太郎が泉尾新田地先を、また同郡桜井(さくらい)新田(現住之江区)地主利兵衛が千島新田地先の開発を出願し、それぞれ地代銀一一貫余、八貫余を納入し請地した(岡島家文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報