千道安(せんのどうあん)(読み)せんのどうあん

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

千道安(せんのどうあん)
せんのどうあん
(1546―1607)

安土(あづち)桃山~江戸初期の茶人。千利休(りきゅう)の子。母は宝心妙樹(法名)。少庵(しょうあん)は義理の兄弟で同年齢。初め紹安と称し、眠翁と号す。青年期、父の再婚が原因でか、約10年間茶の湯から離れたとみられるふしがあるが、復帰後は父とともに茶頭(さどう)として豊臣(とよとみ)秀吉に仕えた。1591年(天正19)利休賜死の際、阿波(あわ)(徳島県)に逃れたとも、飛騨(ひだ)(岐阜県)に流されたともいうが、不詳。その後、秀吉の茶頭に復帰し伏見(ふしみ)(京都府)で従事したが、98年(慶長3)秀吉が没したことにより堺(さかい)(大阪府)に戻り、慶長(けいちょう)12年、この地で没した。よって利休の茶統は京都の少庵・宗旦(そうたん)父子に伝えられた。

[村井康彦]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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