桃山(読み)モモヤマ

デジタル大辞泉 「桃山」の意味・読み・例文・類語

ももやま【桃山】

京都市伏見区の地名。宇治川の北岸に位置する。豊臣秀吉伏見城を築き、その跡一帯に桃の木を植えたのでこの名があるという。桓武明治天皇陵がある。

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精選版 日本国語大辞典 「桃山」の意味・読み・例文・類語

もも‐やま【桃山】

  1. [ 1 ] 和菓子の一つ。白餡(しろあん)に砂糖と卵黄、また少量のみじん粉またはくず粉を練り混ぜて焼いたもの。
    1. [初出の実例]「今従来伝はりたる品類を掲げば、羊羹・カステーラ・玉だれ・桃山(モモヤマ)」(出典:東京風俗志(1899‐1902)〈平出鏗二郎〉中)
  2. [ 2 ] ( 伏見城の跡に多くの桃の木が植えられたところから ) 京都市伏見区の山。また、その一帯の地名。宇治川を望む景勝地で、鎌倉時代以降皇室領となったが、文祿年間(一五九二‐九六)豊臣秀吉が伏見城を築城して城下町が発達。伏見城は元和五年(一六一九)に廃城となったが、江戸時代は淀川水運の要津として栄えた。明治天皇陵(伏見桃山陵)がある。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「桃山」の意味・わかりやすい解説

桃山(和歌山県)
ももやま

和歌山県北部、那賀郡(ながぐん)にあった旧町名(桃山町(ちょう))。現在は紀の川市の南部を占める地域。旧桃山町は、1956年(昭和31)安楽川(あらかわ)町と奥安楽川、調月(つかつき)の2村が合併して成立。2005年(平成17)打田(うちた)、粉河(こかわ)、那賀貴志川(きしがわ)の4町と合併して、紀の川市として市制施行。旧町名は古くからのモモ栽培にちなむ。紀ノ川左岸、貴志(きし)川との合流点の氾濫(はんらん)原と洪積台地を占め、安楽川(荒川)の地名が示すように洪水常襲地。旧高野山(こうやさん)領では最大の平地部であった。台地では江戸時代からモモの栽培が行われ、平野部にも広がり、県下有数の生産量を誇る。緑化木や苗木の生産も盛ん。また、工業団地がつくられている。国道424号に近い三船神社の本殿は国指定重要文化財。県指定無形民俗文化財に妙法壇祇園太鼓(みょうほうだんぎおんだいこ)がある。

[小池洋一]

『『桃山町史』(1972・桃山町)』『『花も実もある桃山町――写真で見る100年史』(2002・桃山町)』


桃山(京都市)
ももやま

京都市南部の伏見(ふしみ)区の一地区。京都盆地と山科(やましな)盆地の間に標高約100メートルの洪積層の桃山丘陵があり、北は東山(ひがしやま)丘陵、南は宇治(うじ)川に接する。西方をJR奈良線と京阪電鉄京阪本線および近畿日本鉄道京都線、南端を京阪宇治線が走る。

 1593年(文禄2)豊臣(とよとみ)秀吉が伏見城を築城したが、1623年(元和9)江戸幕府は城を取り壊し、城跡一帯に桃の木を植えたのが桃山の呼称の始まりといわれる。現在、城跡の大部分は明治天皇伏見桃山陵、伏見桃山東陵(昭憲皇太后陵)となり、北西方には桓武(かんむ)天皇陵がある。なお、観光用に復原された伏見城天守閣があり、付近は遊園地となっている。

織田武雄

『林屋辰三郎編『桃山』(1976・京都桃山ライオンズクラブ)』


桃山(菓子)
ももやま

和菓子の一つ。焼き菓子の一種。白餡(あん)に砂糖と卵黄、これに少量のみじん粉(こ)または葛粉(くずこ)を練り混ぜて焼き上げたもの。栗(くり)まんじゅうなどとともに現代になってからの製品で、初めは形も小ぶりであったが、いつしか中に餡を入れた姿の大きめな桃山もつくられるようになった。桃山の菓名は、菓子そのものが卵黄を仕込んだ餡でできているという素材の豪華さ、焼き上がりのきめがしっとりと華やいだ趣(おもむき)を備えているところから、絢爛(けんらん)の桃山時代にちなんで名づけられた。餡の部分を表面に押し出す考えの底には、黄身しぐれや練り切りの姿があり、天火焼きの手法が加わって桃山種の呼び名を生んだ。

[沢 史生]


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「桃山」の意味・わかりやすい解説

桃山
ももやま

和歌山県北部,紀の川市南部の旧町域。紀ノ川と支流貴志川の合流点の南東岸を占める。1956年安楽川町,奥安楽川村,調月村の 3町村が合体して桃山町が発足。1957年細野村の一部を編入。2005年打田町,粉河町,那賀町,貴志川町の 4町と合体して紀の川市となった。地名は特産のモモに由来。合流点付近の安楽川(あらかわ。荒川の意)はかつては高野山金剛峯寺の寺領で,豊かな米作地域であるとともに洪水常襲地であったが,第2次世界大戦後の河川改修により洪水はなくなった。貴志川の支流柘榴川(ざくろがわ)流域の山地では江戸時代後期からモモ栽培が行なわれ,明治期以降生産が拡大した。

桃山
ももやま

京都市南部,伏見区の一地区。東山連峰南端の丘陵に位置。前面に宇治川を控え,南山城地方が一望できる自然の要害地で,慶長1 (1596) 年豊臣秀吉が伏見城を築き,丘陵西斜面に城下町が発達。元和5 (1619) 年城が取りこわされ,跡地にモモの木が植樹されてモモの名所となり,地名の由来となったといわれる。城跡に明治天皇の伏見桃山御陵,乃木神社があり,1964年には城が再建された。近年,宅地化が進んでいる。

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百科事典マイペディア 「桃山」の意味・わかりやすい解説

桃山[町]【ももやま】

和歌山県北部,那賀(なが)郡の旧町。紀ノ川と支流貴志川との合流点付近にある中心の市場(いちば)は高野街道沿いの古くからの市場町で,かつては高野山領であった。モモの産地として知られ,植木生産も盛ん。三船神社がある。2005年11月,那賀郡打田町,粉河町,那賀町,貴志川町と合併し市制,紀の川市となる。51.75km2。8227人(2003)。

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日本歴史地名大系 「桃山」の解説

桃山
ももやま

一冊 林屋辰三郎編 京都桃山ライオンズクラブ 昭和五一年刊

構成 桃山への誘い、一章(桃山以前—古代から天正)、二章(伏見城—文禄から元和)、三章(桃山の誕生—寛永から幕末)、四章(伏見の近代—幕末から現代)、図版(桃山以前・伏見城・桃山の誕生・伏見の近代)、別添地図(伏見古絵図)

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「桃山」の解説

桃山
ももやま

京都市伏見区にある伏見山(木幡(こはた)山)の異称で,それが付近一帯の地名ともなった。1594年(文禄3)豊臣秀吉がこの山に伏見城を築いたが,1623年(元和9)とり壊され,その跡に桃の木が植えられたので桃山の名がうまれた。桃花見物の名所として知られたが,城跡が明治天皇の伏見桃山陵となり,桃樹もとり払われて御料地とされたため,昔の面影はない。

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改訂新版 世界大百科事典 「桃山」の意味・わかりやすい解説

桃山(旧町) (ももやま)

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和・洋・中・エスニック 世界の料理がわかる辞典 「桃山」の解説

ももやま【桃山】

和菓子の一種。白あんに卵黄、砂糖、水あめ、みじん粉またはくず粉などを加えて練り、形をととのえてオーブンなどで焼いたもの。中にあんを入れたものもある。ほかの菓子の生地としても用いる。

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動植物名よみかた辞典 普及版 「桃山」の解説

桃山 (モモヤマ)

学名:Rhododendron pulchrum
植物。ツツジ科のヒラドツツジの園芸品種

出典 日外アソシエーツ「動植物名よみかた辞典 普及版」動植物名よみかた辞典 普及版について 情報

世界大百科事典(旧版)内の桃山の言及

【伏見】より

… 伏見荘は〈伏見九郷〉と称される9村で構成されていた。久米村(鷹匠町,金札宮付近),舟戸(津)村(淀川に面した柿ノ木浜付近),森村(桃陵町付近),石井村(御香宮門前付近),即成院村(桃山町泰長老付近),法安寺村(深草大亀谷五郎太町付近),北内村(深草大亀谷付近),山村(谷口――旧伏見城域内の広庭),北尾村(深草大亀谷敦賀町付近)である。ただこの郷名と郷数は,史料によって異同がある。…

※「桃山」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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