千間土居
せんげんどい
現在の北山地区曲松から山下までの約一千三〇〇間にわたる柳川藩側の矢部川堤防。もと霞堤が築かれていたが、元禄八年(一六九五)に修築された。これまで普請役田尻惣馬惟信による築造とされていたが、近年その父田尻惣助惟貞の業績と判明した。宝永八年(一七一一)の久留米藩領矢原村(現八女市)庄屋の覚(「矢原村御用控」立花町史)によれば、元禄八年の洪水で久留米・柳川両藩ともに被害が大きく、その改修の普譜を行った際、柳川藩は堤防への水の当りを弱めるため水刎を施し、堤防の高さも久留米側より高くしたという。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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