千阪 高雅
チサカ タカマサ
- 肩書
- 貴院議員(勅選)
- 別名
- 幼名=浅之助 諱=迪 字=康民 通称=与市 左郎右衛門 号=梁川 嘉遯斎
- 生年月日
- 天保12年閏1月19日(1841年)
- 出生地
- 出羽国米沢(山形県)
- 経歴
- 文久3年家督を継ぎ、慶応2年米沢藩国家老、維新の変に軍事総督。明治3年大参事となり、4年藩主に従って英国遊学、6年帰国。内務省に入り、9年権少丞。10年西南戦争に従軍、陸軍中佐。12年石川県令、次いで内務大書記官、さらに岡山県令、同知事を歴任。のち退官して実業界に転じ、両羽銀行、宇治川水電、横浜水電、横浜倉庫、東京米穀商局取引所などの重役を務めた。27年〜大正元年勅選貴院議員。
- 没年月日
- 大正1年12月3日
- 家族
- 二男=千阪 智次郎(海軍中将)
出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報
千阪 高雅
チサカ タカマサ
江戸時代末期〜大正期の内務官僚,実業家 貴院議員(勅選)。
- 生年
- 天保12年閏1月19日(1841年)
- 没年
- 大正1(1912)年12月3日
- 出生地
- 出羽国米沢(山形県)
- 別名
- 幼名=浅之助,諱=迪,字=康民,通称=与市,左郎右衛門,号=梁川,嘉遯斎
- 経歴
- 文久3年家督を継ぎ、慶応2年米沢藩国家老、維新の変に軍事総督。明治3年大参事となり、4年藩主に従って英国遊学、6年帰国。内務省に入り、9年権少丞。10年西南戦争に従軍、陸軍中佐。12年石川県令、次いで内務大書記官、さらに岡山県令、同知事を歴任。のち退官して実業界に転じ、両羽銀行、宇治川水電、横浜水電、横浜倉庫、東京米穀商局取引所などの重役を務めた。27年〜大正元年勅選貴院議員。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
千阪高雅
没年:大正1.12.3(1912)
生年:天保12.閏1.19(1841.3.11)
明治期の官僚。米沢藩(山形県)家老千阪高明の子。幼名は浅之助,雅号は梁川。幕末に興譲館で学んだのち,藩主上杉斉憲の洛中警備に従った。帰藩後興譲館の学頭となり,さらに慶応2(1866)年国家老に就任。軍制改革に尽力し薩長方についたが,のちに武力による倒幕に反発し藩論を佐幕に統一した。維新後米沢藩軍務総督として降伏し謹慎。のち明治3(1870)年同藩大参事に就任した。4年上杉茂憲に随行して養蚕製糸調査のためフランス,イタリアに留学。帰国後内務省に出仕し石川県令,岡山県令などを歴任。伊藤博文に陸羽人中の人材と評された。29年勅選貴族院議員。<参考文献>大岡力『地方官人物評』
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報