梁川(読み)やながわ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「梁川」の意味・わかりやすい解説

梁川
やながわ

福島県中通り北端、伊達郡(だて)にあった旧町名(梁川町(まち))。現在は伊達市梁川町地区で、市の北東部を占める。旧梁川町は、1889年(明治22)町制施行。1955年(昭和30)粟野(あわの)、堰本(せきもと)、白根(しらね)、山舟生(やまふにゅう)、富野(とみの)、五十沢(いさざわ)の6村と合併。2006年(平成18)伊達、保原(ほばら)、霊山(りょうぜん)、月舘(つきだて)の4町と合併して市制施行、伊達市となった。阿武隈(あぶくま)急行、国道349号が通じる。阿武隈高地西縁に広がり、阿武隈川とその支流広瀬川の流域である。鎌倉時代初期に伊達氏の祖中村朝宗(ともむね)が梁川城を構えたと伝え、伊達郡を支配した。江戸時代は幕府領、福島藩領などと一定しなかった。中心の梁川は阿武隈川舟運の渡津(としん)であった。古くから養蚕が行われ、とくに蚕種製造が盛んであり、1772年(安永1)には幕府から蚕種本場(ほんば)の指定を得たという。舟生などは和紙の生産で知られた。現在はニット産業が中心で、農業は果樹栽培、干し柿(がき)(あんぽ柿)、ブロイラー飼育などが行われる。

[渡辺四郎]

『『梁川町史』全12巻(1984~2000・梁川町)』

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百科事典マイペディア 「梁川」の意味・わかりやすい解説

梁川[町]【やながわ】

福島県北東部,伊達(だて)郡の旧町。福島盆地北東端にある阿武隈(あぶくま)川流域に耕地が広がる。広瀬川の谷に主集落は小城下町として発達,かつて蚕種業が盛んであった。商工業が活発で,ニット工場が多い。果実栽培,畜産が行われ,干しガキ,モモ,キュウリを特産。阿武隈急行が通じる。2006年1月,伊達郡伊達町,保原町,霊山町,月舘町と合併し市制,伊達市となる。82.93km2。2万1415人(2003)。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「梁川」の意味・わかりやすい解説

梁川
やながわ

福島県北東部,伊達市北部の旧町域。阿武隈川と支流広瀬川などが合流する地点にある。北と東は宮城県に接する。1889年町制。1955年粟野村,五十沢村,富野村,山舟生村白根村,堰本村の 6村と合体。2006年伊達町,保原町,霊山町,月舘町と合体して伊達市となった。江戸時代以前に出城が築かれた。明治中期までは阿武隈川水運の河港として栄え,海産物陸揚げが行なわれた。早くから養蚕が盛んで,養蚕用の寒暖計である蚕当計 (さんとうけい) の発明者中村善右衛門,蚕の温暖飼育法の創案者田口留兵衛などを輩出した。現在はニット製品の製造が多い。米作,モモやリンゴなどの果樹栽培,野菜の栽培が盛ん。山間部一帯はあんぽ柿の主産地。

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改訂新版 世界大百科事典 「梁川」の意味・わかりやすい解説

梁川 (やながわ)

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