日本歴史地名大系 「千駄ヶ谷町」の解説 千駄ヶ谷町せんだがやちよう 東京都:渋谷区千駄ヶ谷町[現在地名]渋谷区千駄ヶ谷一―二丁目・同五丁目、新宿区霞岳町(かすみがおかまち)など千駄ヶ谷村に成立した町。拝領町屋と駒込(こまごめ)吉祥(きちじよう)寺・浅草西福(さいふく)寺・本所霊山(りようぜん)寺の三寺領年貢町屋があった。明治五年(一八七二)千駄ヶ谷一丁目(現新宿区)、同二―三丁目、千駄ヶ谷仲(せんだがやなか)町一―二丁目の一部になったと考えられる。〔拝領町屋〕千駄ヶ谷村のうち除地で空地であったが、元禄一二年(一六九九)伊賀者市川氏らが拝領し、翌年百姓町屋作が許された。正徳三年(一七一三)町奉行一手支配となり町名を唱えた。町内は四谷天龍寺(よつやてんりゆうじ)門前(現新宿区)続きの一ヵ所と、幕府焔硝蔵(現同上)の西続きの一ヵ所に分れる。天龍寺門前続きの町屋は千駄ヶ谷村の北端近くに位置する。片側町で、北は天龍寺門前、他の三方は幕臣屋敷、南北間口・裏幅とも一七間余、東西は裏行が一四間。焔硝蔵続きの町屋は千駄ヶ谷村の北東端近くに位置する。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報