千鳥道経塚
ちどりみちきようづか
[現在地名]沼津市西野 霞
大正四年(一九一五)頃、当時駿東郡浮島村の山田菊蔵の開墾により発見された経塚。浮島村は現在沼津市と富士市に二分されており、市境も複雑であったことから、富士市に属するとされたこともあった。石川集落の根方街道を北に三キロほど登った辺りの所で、今は茶畑となっている。この近くに釈迦堂という小字が残されており、潮音寺(観音堂、現廃寺)の旧地とも伝えられる。開墾により経筒三口、渥美窯の壺(外筒容器)三点、鏡八枚・合子二合・坏二点などが発見された。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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