日本歴史地名大系 「半坂峠」の解説 半坂峠はんざかとうげ 長崎県:佐世保市八之窪村半坂峠佐々(さざ)町境にある峠。最高所の標高一八〇メートル。松浦(まつうら)川流域と佐々川流域を分ける要所で、永禄六年(一五六三)平戸松浦氏の軍勢は半坂峠から敵方の佐世保相神浦氏の飯盛(いいもり)城を見下ろすことができたが、「印山記」には「辰刻ばかりに、蜂ノ久保へ押寄せけるを、東五郎秀勝、百余人にて半坂に出向ひ、両方入り乱れ戦ひける」と決戦の様子が記される。江戸時代は平戸往還の峠道で、平戸城主の参勤交代の折の駕籠立場(休憩所)であり、駕籠立場(かごたてば)の地名が残る。また二本の松が植えられる。文化一〇年(一八一三)伊能忠敬は往還筋を測量、「平戸街道測量、相神浦川飛石歩行渡、巾二十一間、字本山、岡ノ上、字白岩、字蜂ノ窪、半坂峠村界、野陣小休」とあって、やはり休憩をとっている(伊能忠敬測量日記)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by