半田町(読み)はんだちよう

日本歴史地名大系 「半田町」の解説

半田町
はんだちよう

面積:五一・五二平方キロ

郡の西部、東流する吉野川右岸(南岸)に位置する。南は一宇いちう村、東は貞光さだみつ町、北は吉野川を隔てて美馬町、西は三好みよし三加茂みかも町、南西の一部で同郡東祖谷山ひがしいややま村に接する。町の南部はつるぎ山地の一峰、白滝しらたき(一五二六・一メートル)から派生する標高一〇〇〇メートル級の山々が連なる山地で、この山間渓谷の水を集める半田川が北流して吉野川に注ぐ。半田川やその支流沿いには谷底平野(低位段丘)が形成され、同川下流部の谷底平野は小野天神おのてんじんの中位段丘(洪積台地)に阻まれて盆地(半田盆地)となり、半田川も西に蛇行して吉野川に流れ込んでいる。町の北端、吉野川南岸に沿って国道一九二号が東西に走る。さらにその南側に並行してJR徳島線が走り、阿波半田駅が置かれている。半田川上流部の八千代やちよ地区へは県道上蓮じようれん―小野線が通じている。

地内の考古遺跡では小野天神古墳が知られたが、現在は消滅。令制以来美馬郡に属し、古代には「和名抄」記載の同郡四郷のうちの大島おおしま郷の郷域であったとする説もあるが、定かではない。中世は八多はつた(八田山、あるいは八多庄・八田庄とも)とよばれていたと考えられる。南北朝時代の町域は、南朝方として活動した祖谷いや山など山間部の土豪的武士たちの勢力下であったと伝えられ、坂根さかね上喜来かみぎらいなどに新田につた神社が祀られている。ただし町内で二一基が確認されている板碑のうち、阿弥陀来迎図を線刻した半田口山はんだくちやま地区西久保西山の鹿老渡にしくぼにしやまのかろうと板碑には永和三年(一三七七)八月の年紀があり、北朝年号が用いられている(「徳島県文化財基礎調査報告書第一集」では永徳三年と読んでいる)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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