半田奥山(読み)はんだおくやま

日本歴史地名大系 「半田奥山」の解説

半田奥山
はんだおくやま

[現在地名]半田町 日開野ひがいの葛城かつらぎ坂根さかね下喜来しもぎらい樫尾かしお上蓮じようれん佐古戸さこうど小谷こだに下尾尻しもおじり猿飼さるかい上喜来かみぎらい青野あおの中熊なかぐま折坂おりさか小井野こいの長野ながの紙屋かみや日谷尾ひがお

半田口はんだくち山の南、半田川最上流域の山間に位置し、南は一宇いちう(現一宇村)、東は西端にしはば(現貞光町)、西は三好みよし毛田けた(現三加茂町)など。半田口山と併せて半田山ともよばれた。中世には八田はつた山のうちで推移したと考えられ、史料に散見する同山のうちの下寄来しもぎらい(名)は地内下喜来が遺称地と思われる。また延文五年(一三六〇)六月二五日、源信親は「坂根堂免定」を除いた八田山三分の一内の下寄来を菅生二郎兵衛尉に去渡しているが(正平一五年六月二五日「源信親去渡状」菅生文書)、この「坂根堂」は地内坂根の奈良堂の前身と考えられる。慶長二年(一五九七)の分限帳や正保国絵図、寛文四年(一六六四)郷村高辻帳などでは半田口山と併せて半田山(あるいは同山分)などとみえる。「阿波志」では半田奥山とあり、土田等級は下等、反別二四六町五反余、陸田が一〇分の九、水田が一〇分の一の割合で、家数五一五。半田村大久保太兵衛の享和三年(一八〇三)手控(大久保家文書)によると高三四三石余・家数六七七。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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