南侍浜村(読み)みなみさむらいはまむら

日本歴史地名大系 「南侍浜村」の解説

南侍浜村
みなみさむらいはまむら

[現在地名]久慈市侍浜町さむらいはまちよう

鳥谷とや村・閉伊口へいのくち村の東、久慈湾の北側台地に位置し、東は海に面する。西方を浜街道が通る。侍浜村の八戸藩領分の通称。寛文四年(一六六四)八戸藩の成立とともに侍浜村は同藩領に属したが、貞享二年(一六八五)牧野をめぐって藩領の替地が行われ、北部が盛岡藩領、南部が八戸藩領に属することとなり、それぞれ北侍浜村、南侍浜村と称したが、これは通称で、旧高旧領取調帳に初めて村名がみえることから、正式に成立したのは幕末から明治初年の頃と思われる。村域は現在の本波ほんなみ麦生むぎよう地区で、天保八年(一八三七)の仮名付帳には侍浜の記載はなく、閉伊口村の枝村として本波・麦生の両村名がみえる。正保国絵図には侍浜村とみえ、高二五石余。元禄一〇年(一六九七)の郷村御内所高帳には閉伊口通へいのくちどおり村二ヵ村の一として侍浜村とあり、田一一石余・畑一六石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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