南及村
みなみおよびむら
[現在地名]羽島市正木町南及
現羽島市の北東端、木曾川西岸に位置する大浦輪中内の村。北は北及村(現羽島郡笠松町)。中世の鎌倉街道は当地辺で現在の木曾川を渡河していたといわれ、永享四年(一四三二)駿河に向かう将軍足利義教に随行した尭孝の「覧富士記」に、墨俣川を渡ったのち、「尾張国をよび河にて」詠んだ歌が載る。年未詳六月八日の下間頼龍奉本願寺御印書(円覚寺文書)に「南およひ」とみえる。慶長郷帳に村名がみえ、高一六〇石余。元和二年(一六一六)の村高領知改帳では美濃国奉行岡田善同領。正保郷帳では田方八五石余・畑七五石余、加納藩領。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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