朝日日本歴史人物事典 「尭孝」の解説
尭孝
生年:明徳2/元中8(1391)
南北朝時代の歌人。父は権大僧都尭尋。頓阿の曾孫に当たる。尭憲は養子。常光院,満願寺と号し,法印権大僧都に至る。応永21(1414)年『頓証寺法楽千首』『頓証寺法楽百首』に出詠して以来,足利義政,飛鳥井雅世らの眷顧を得て二条派の中心人物として活躍。清巌正徹および冷泉家に対抗した。永享5(1433)年『新続古今集』選進の際の和歌所開闔を務め,嘉吉3(1443)年『一条兼良家歌合』,宝徳2(1450)年『後崇光院仙洞歌合』,同3年『百番歌合』など,多くの歌会,歌合に参加。朝幕双方の歌壇で重きを為し,その門下に尭恵,東常縁らが出て,古今伝授の一流をなした。古典籍の書写にも功績があった。家集『慕風愚吟集』,歌学書『桂明抄』のほか『尭孝法印日記』『覧富士記』『伊勢紀行』などの著作がある。常縁の『東野州聞書』にその歌論を伝える。
(田仲洋己)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報