洲俣・須俣・洲股などとも記す。天正一四年(一五八六)頃より以前、木曾川は現町域の東(現境川筋付近)で長良川に合流し、北部の
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岐阜県南西部、安八郡(あんぱちぐん)にあった旧町名(墨俣町(ちょう))。現在は大垣(おおがき)市の飛び地で、安八町を挟んで東方に位置する。旧墨俣町は1894年(明治27)町制施行。1897年西橋、下宿(しもじゅく)、二ツ木村と合併。2006年(平成18)大垣市に編入。旧町の中心地区は長良川(ながらがわ)の西岸で、支流の五六(ごろく)川、犀(さい)川などの合流点の南側にある。長良川の東岸では、かつて旧木曽(きそ)川(現境(さかい)川)が合流していたこともあり、一帯は「洲(す)の俣(また)」とよばれた。古くから交通の要衝として源平の合戦、承久(じょうきゅう)の乱、南北朝の内乱など、しばしば戦場となった。江戸時代には美濃路(みのじ)の宿駅でもあった関係で、現在も飲食店の多い商業町である。旧国道21号(県道岐阜垂井(たるい)線)に沿っており、岐阜・大垣中心市街地との交通が便利で、通勤者も多い。旧町域の北東部、長良川沿いに、木下藤吉郎(とうきちろう)(豊臣(とよとみ)秀吉)が井ノ口(岐阜)の稲葉山(いなばやま)城攻略のために築いた一夜(いちや)城(墨俣城)跡がある。
[上島正徳]
『『墨俣町史』(1956・墨俣町)』
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…木曾川西岸河口部には深層地下水を汲み上げて成立した長島温泉があり,名古屋大都市圏の保養地,遊園地としてにぎわっている。【溝口 常俊】
[歴史]
古くは吉蘇川,岐蘇川とも書き,所によって,広野川,鵜沼川,境川,墨俣(すのまた)川とも称された。水源地の木曾は森林資源が豊かで,信濃・美濃両国が帰属をめぐって争い,879年(元慶3)美濃に所属することに定められた。…
※「墨俣」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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