日本歴史地名大系 「南大工三丁目」の解説 南大工三丁目みなみだいくさんちようめ 大阪府:堺市堺南大工三丁目[現在地名]堺市新在家(しんざいけ)町東(ひがし)二丁灰屋(はいや)町の東、大道の東三筋目を挟む両側町。元禄二年(一六八九)堺大絵図によると、東頬一二筆・西頬一四筆の宅地と、東端に妙慶(みようけい)寺・本要(ほんよう)寺・本伝(ほんでん)寺および本伝寺祠堂掛屋敷があり、町会所は東頬の南から二筆にあった。当時町内の大工は一軒のみで、北の南大工一―二丁目のような同業者町ではなかった。所属町組は塗師屋(ぬしや)町に同じ。寛政一一年(一七九九)の家数三一、石銀高五三匁余、家役三〇(うち無役一・六四)、年寄は辻弥兵衛(堺市史)。なお前掲堺大絵図によると当町と絹屋(きぬや)六丁目との間に幅一間半の小路を挟んで、東に幅五間、西に幅六間半の細長い南宗(なんしゆう)寺祠堂掛屋敷が並び、南宗寺新(なんしゆうじしん)町とよばれていた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by