日本歴史地名大系 「南大豆谷村」の解説
南大豆谷村
みなみおおまめだにむら
下利賀村の北、利賀川右岸の山腹の台地に位置し、北は近接して北大豆谷村。当地の大豆谷八幡宮に永和四年(一三七八)銘の僧形八幡神像が伝わり、利賀谷でも早い時期に開けた地域とみられる。天文二一年(一五五二)一〇月二七日の五箇山衆連署申定(生田家文書)の「利賀谷」のうちに大豆谷八郎左衛門尉・同大郎衛門尉の名がみえる。正保郷帳に村名がみえ高一四二石余、畑方のみで九町五反余。高は幕末まで変化なし。明暦二年(一六五六)の免四ツ一歩二厘、同年以後、納所金子二五両一匁余・塩硝役金子一両三匁三分余・手上金子一両一匁余、蝋・漆・蓑・紙役金子一両二匁三分余、計二九両三匁四分余を課せられており、この代銀一貫三八四匁八分余を夏成・冬成の両度に納めた(天保一〇年「草高免付百姓数品々帳」利賀村公民館蔵)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報