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南宮大湫 なんぐう たいしゅう

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美術人名辞典の解説

南宮大湫

江戸中期の儒者。姓は井上、名は岳、字は喬卿。初め中西淡淵の門に学ぶ。細井平洲と親交があった。安永7年(1778)歿、51才。

出典|(株)思文閣
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

南宮大湫 なんぐう-たいしゅう

1728-1778 江戸時代中期の儒者。
享保(きょうほう)13年3月1日生まれ。井上仲八の子。美濃(みの)(岐阜県)の人。中西淡淵(たんえん)にまなび,京都で公家(くげ)につかえて南宮と改姓。伊勢(いせ)(三重県)の桑名や津,のち江戸でおしえた。安永7年3月3日死去。51歳。名は岳。字(あざな)は喬卿。通称は弥六。別号に積翠楼,烟波釣叟。著作に「学庸旨考(がくようしこう)」「歴代備荒考」など。

出典|講談社
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朝日日本歴史人物事典の解説

南宮大湫

没年:安永7.3.3(1778.3.31)
生年:享保13.3.1(1728.4.9)
江戸時代中期の漢学者。美濃(岐阜県)今尾の人。名は岳,字は喬卿,通称は弥六。大湫などと号す。本姓井上氏。家は代々尾張藩家老竹腰氏に仕える。幼くして父母を失い,病弱であったことから学問を志し,中西淡淵に師事。仕官を嫌い,桑名に移り住んで,姓を南宮と改めた。講説を業とし,貧困生活が続いたが,その間少しも動じることがなかった。その後,安濃津(三重県津市)に移り,門人も増えて,大師と称せられた。42歳のとき,同門細井平洲 の勧めで,江戸に出て開塾。各藩から賓師として召され,声望はますます上がり,一家をなした。<著作>『大湫先生集』

(高橋昌彦)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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