朝日日本歴史人物事典 「南宮大湫」の解説
南宮大湫
生年:享保13.3.1(1728.4.9)
江戸時代中期の漢学者。美濃(岐阜県)今尾の人。名は岳,字は喬卿,通称は弥六。大湫などと号す。本姓井上氏。家は代々尾張藩家老竹腰氏に仕える。幼くして父母を失い,病弱であったことから学問を志し,中西淡淵に師事。仕官を嫌い,桑名に移り住んで,姓を南宮と改めた。講説を業とし,貧困生活が続いたが,その間少しも動じることがなかった。その後,安濃津(三重県津市)に移り,門人も増えて,大師と称せられた。42歳のとき,同門細井平洲 の勧めで,江戸に出て開塾。各藩から賓師として召され,声望はますます上がり,一家をなした。<著作>『大湫先生集』
(高橋昌彦)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報