ディドロ(読み)でぃどろ(英語表記)Denis Diderot

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ディドロ」の意味・わかりやすい解説

ディドロ
でぃどろ
Denis Diderot
(1713―1784)

フランスの啓蒙(けいもう)思想家。シャンパーニュ地方のラングルで10月5日に生まれる。聖職者になるべく生地のイエズス会系の学校で教育を受けるが、パリへ遊学し、1732年にはパリ大学から教養学士(メートル・エス・アール)の称号を受けた。その後の約10年間、定職につかず苦学を続け、数学と英語の修得に没頭しながらも、家庭教師などで生計を支えた。1743年には、父の反対を押し切ってアンヌ・トアネット・シャンピオンAnne Toinette Champion(1710―1796)と秘密結婚した。このころから英語の読解力を生かしてギリシア史や医学辞典の翻訳に携わり、1745年には、初期のディドロに多大の影響を与えたイギリスの哲学者シャフツベリ伯(3世)の『人間の真価と徳に関する試論』(1699)をフランス語に自由訳し、出版した。

[市川慎一 2015年5月19日]

『百科全書』に着手

そのころ、イギリスで好評を博したチェンバーズ編の百科事典『サイクロピーディア』Cyclopædia(初版1728年)のフランス語訳刊行を企画したル・ブルトンAndré Le Breton(1708―1779)の依頼で、彼は、親友で著名な数学者ダランベールを誘い、これに参画した。当初、両人は編集の下働きにすぎなかったが、監修者の更迭と企画変更に伴い、ディドロとダランベールは、フランス人によるオリジナルな『百科全書L'Encyclopédieの刊行に着手した。1751年の第1巻から本文17巻、図版11巻、計28巻の刊行(1772)まで、ディドロは『百科全書』の完成に心血を注いだので、彼の一生の大半は文字どおり、世紀のこの大事業に捧(ささ)げられたといえよう。

 『百科全書』の責任編集を続ける一方で、彼は哲学的には有神論から無神論傾斜しつつあったが、1749年に、匿名で刊行した『盲人に関する書簡』Lettre sur les Aveugles à l'usage de ceux qui voientのために、危険思想の持ち主としてパリ郊外のバンセンヌの監房に投獄された。哲学上の著作としては、言語機能と美学の諸問題を扱った『聾唖(ろうあ)者に関する書簡』Lettre sur les sourds et les muets(1751)、思弁的学問よりも実験的学問の優位を説いた『自然の解釈に関する思索』Pensées sur l'Interprétation de la Nature(1753)を経て、彼の唯物論への傾斜は、連作『ダランベールの夢』(1769)および『生理学の基礎』Éléments de physiologie(1778~1784)に至って頂点に達した。

[市川慎一 2015年5月19日]

数多い文学作品

文学作品として、初期には小説『不謹慎な宝石』Les Bijoux indiscrets(1748)を残しているが、『修道女』La Religieuse(1760)を契機に作家としての自信を深めたディドロは、傑作ラモーの甥(おい)』(起稿1762年)、『宿命論者ジャックとその主人』Jacques le fataliste et son maître(起稿1771年、刊行1796年)などを書いた。物語作品のほかに、彼は劇作にも並々ならぬ意欲を示し、自ら戯曲『私生児Le Fils naturel(1757)、『家長Le Père de famille(1758)を執筆した。この分野では、彼が表明した劇理論、つまり、古典劇の悲劇喜劇との中間に設けた「まじめなジャンル」の創唱により、いわゆる市民劇ドラム)の理論家として知られ、これはドイツの劇作家G・E・レッシングに引き継がれ、隣国で開花した。なお、彼には独自の見解を表明した『俳優に関する逆説Le Paradoxe sur le comédien(起稿1773年、刊行1830年)もある。

 美術関係では『絵画論』(1765)を書いたが、親友グリムFrédéric Grimm(1723―1807)の主宰する『文芸通信』誌に官展評「サロン」Salonsを寄稿し、近代美術評論の形式を築き、ボードレールらに影響を与えた。

 晩年、ロシアのペテルブルグに恩人のエカチェリーナ2世を表敬訪問したが、終生の関心は道徳問題で、『セネカ論』(1778)の完成に意欲を燃やし、1784年7月31日パリで他界した。

[市川慎一 2015年5月19日]

『小場瀬卓三・平岡昇他監修『ディドロ著作集』全4巻(1976〜2013・法政大学出版局)』『本田喜代治・平岡昇訳『ラモーの甥』(岩波文庫)』『新村猛訳『ダランベールの夢』(岩波文庫)』『桑原武夫訳・編『百科全書――序論および代表項目』(岩波文庫)』『小場瀬卓三著『ディドロ研究 上中』(1961、1972・白水社)』『J・プルースト著、平岡昇・市川慎一訳『百科全書』(1979・岩波書店)』『中川久定著『ディドロの「セネカ論」』(1980・岩波書店)』『中川久定著『人類の知的遺産41 ディドロ』(1985・講談社)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ディドロ」の意味・わかりやすい解説

ディドロ
Diderot, Denis

[生]1713.10.5. ラングル
[没]1784.7.30. パリ
フランスの哲学者,文学者。刃物師の家に生れ,1729年パリに出て,パリ大学で学んだのち,同地で放浪生活をおくり,J.-J.ルソー,F.M.グリム,ドルバック,コンディヤックらと知合う。 45年よりダランベールとともに編纂,出版した『百科全書』 Encyclopédie (1751~72) は啓蒙思想の歴史上画期的業績となった。思想的にはシャフツベリー伯の影響下に啓示を認める理神論から出発,唯物論に向った。また,小説,戯曲を書き,古典劇に対して「市民劇」 drame bourgeoisを主張。芸術論にもすぐれた業績を残した。著書に『哲学断想』 Pensées philosophiques (46) ,『盲人書簡』 Lettre sur les aveugles (49) ,『自然の解釈に関する考察』 Pensées sur l'interprétation de la nature (54) ,『ダランベールの夢』 Le Rêve de d'Alembert (69作,1830刊) ,小説『ラモーの甥』 Le Neveu de Rameau (1761~74作,完本 1891刊) など。

ディドロ
Didelot, Charles-Louis

[生]1767. ストックホルム
[没]1837.11.7. キエフ
フランスの舞踊家,振付師。スウェーデン王立バレエ団の振付師であった父の手ほどきを受け,パリ・オペラ座バレエ学校に学ぶ。 1790年同バレエ団でデビュー後,A.ベストリス,J.ノベールに師事し,以来 M.ギマールの相手役をつとめた。 1801~11年ペテルブルグ帝室バレエ団の振付師を経て,ロンドンやパリで活躍。 16年ロシアへ戻り,帝室バレエ学校の校長に就任,バレエ教育の発展に尽力し,ロシア・バレエ界の基礎を築いた。また女性用色タイツ採用などの衣装改革や跳躍のステップを考案したことでも知られる。代表的な振付作品は『フローラとゼフィール』 (1796) ,『コーカサスの捕虜』 (1823) など。

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